なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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『論理哲学論考』を読む会第2回を終えて

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3月5日、『論理哲学論考』を読む会の第二回が無事(?)終了しました。本文の1番台で終わってしましましたが、楽しい時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございます。

以下、最後の方に時間が足りなくて話しきれなかったことを簡単にまとめました。その場にいらっしゃらなかった方にはわかりにくいと思いますが、英訳を参考に日本語テキストを読み進めている一例として、ご興味のある方はお読みください。

1.21の解釈について

原文:Eines kann der Fall sein oder nicht der Fall sein und alles übrige gleich blieben.

英訳:Any one can either be the case or not be the case, and everything else remain the same.

日本語訳1(岩波文庫):他のすべてのことの成立・不成立を変えることなく、あることが成立していることも、成立していないことも、ありうる。

日本語訳2(法政大学出版局):どのことがらも、成立することができ、あるいは成立しないことができる。そしてその余のことがらは、すべて同じままでありうる。

上に示すように、日本語訳には若干の揺れがあります。
私はドイツ語が読めないので、ドイツ語(原文)と英語がある程度対応しているという仮定の下、英訳を元に考えてみました。

1.21の次の2に「What is the case, the fact, is the existence of atomic facts.」とあるように、「the case」は「the fact」に言い換え可能ですが、その場合でも「the case」は文字通り「成立するケース」であり成立しない可能性が示され、「the fact」は成立した結果そのものだと思います(同格でも使い分けられている)。
これを踏まえて、1.21は、成立することがら(事実)になる可能性もあれば、ならない可能性もある、どちらの場合も、他のことがらには影響しない、という風に読みました。

翻って冒頭の1を読むと、

The world is everything that is the case.

となっています。岩波文庫版の訳は「世界は成立していることがらの総体である。」です。ここで、「世界は事実の総体である。」から始めなかったことに私は注目したいと思います。「世界は事実の総体である。」から始め、「事実とは、」と続けることもできたにも関わらず、です。ここで「the fact」ではなく「the case」を使用することに意味があったのではないでしょうか。

次回の範囲である2番台は「事態」という概念が中心になります。
私は何冊か解説書を読みましたが、この部分については『シリーズ世界の思想 ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(角川選書 古田徹也 著)の解釈が一番スルッと頭に入りました。全文引用すると長くなるので、以下一部を紹介します。

「ここでまず重要なのは、物ないし対象が結合することによって事態が構成されるとはいえ、事態の構成に先立って物(対象)がそれ単独で存在するわけではない、ということである。むしろ、物は事態ありきで、事態から特定の仕方で切り分けられる -分節化される- ものとしてはじめて輪郭づけられる。」
「ある時空上にリンゴという物が存在することは、まさにそれ自身がひとつの事態なのである。」
「どこそこに存在することなしに、(当然だが)何かが存在することはありえない。」

また皆様の解釈をうかがうのを楽しみにしています。

こういうことばかりお話しているわけではありませんが、本編とは少し違う雰囲気で対話が進んでいます。間口を広く垣根を低くという本編の在り方を守りつつ、好きな本やテーマについて狭く深く語り合う場として、雑談タイムを活用した分科会が他にも生まれるといいと密かに思っています。

それではまた読書会でお会いしましょう。

(福)