なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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自己実現とマズローの欲求段階説

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1.【マズロー欲求段階説:授業から学んだ「自己実現」のイメージ】

 

自己実現」という言葉を見て、私は学生時代に受けたある授業を鮮烈に思い出した。

100人以上は入る大教室で、その専攻科では、おそらく当時60代のベテランの女性の教授が、マズロー欲求段階説について解説してくれていた。成長段階で、人には5段階の欲求段階があり、第1段階の生理的欲求から順番に十分に満たされて次の欲求段階に進めるが、第4の欲求段階である承認欲求を超えるのはなかなかしんどい、という。

 

教授から見れば圧倒的に若い20代の多くの学生に向けた「あなたたちも長い人生の中で、自己実現の欲求に到達できるといいですね」というメッセージが、私には印象に残っている。授業の中で、自己実現の事例として挙がったのは、戦時中に迫害を受けていたユダヤ人のために命のビザを発給し続けた杉浦千畝(すぎうらちうね)の活動だった。

 

私は高校時代に杉原千畝の活動を基にした舞台を見たことがある。その舞台では、「センポ・スギハーラ」という日本の外交官が現地では英雄だったのに、その外交官自身はビザ発給の決断をする前の苦悩や発給後も「私はもっと多くのユダヤ人を助けられたのではないか」と晩年に苦悩する様子がドラマ(舞台の脚本としてドラマ)化されていた。そのことを思い出し、私は手を挙げて杉原千畝が「センポ・スギハーラ」と同一人物かどうか教授に質問した。「現地では、そう呼ばれていたのかもしれませんね」。教授がそう答えてくれたので、私はようやく杉原千畝の活動が自己実現の事例として挙がるのに納得した記憶がある。私の「自己実現」のイメージはそこから来ているのだった。

 

2.【哲学チャット:自己実現とは】

 

自己実現とは」がテーマの哲学チャットに参加して、特に最初の投稿では、他の人たちの意見を読み、そういった専門知識からではなく、私なりにどう考えたらオリジナリティのある意見を出せるのか、正直いってよくわからなかった。

 

マズロー欲求段階説そのものを知らない人もいるのだな、ということがわかったので、とりあえず私が知っていた承認欲求と自己実現欲求の違いを大雑把に投稿してみた。当然だけど、その時の私はあまり自分の頭で考えていないので、思考が進まない(笑)。でも、そもそも哲学対話では、一人で考えるのに限界があるからこそ、いろんな人の意見を聞いて、その場で考える。参加者が本質に迫るような深い思考になるように、進行役の人が時々「問い」を投げかけてくれる。私は一人で考えるのを早々に放棄して、抽象的だとわかりにくいので、具体例で少し考えて投稿し、他の人たちからヒントを貰おうと思った。

 

私の投稿からほどなくして、別の視点に立った意見が投稿された。「衣食住を満たすために全力を尽くしている人は自己実現していないのでしょうか? 『自己実現』という『欲』が生まれることの方が悪しきことに思える」

 

この意見を読んで私が改めて思ったのが、人が成長段階として欲求段階を進めることと、本人が幸せかどうかは全く別問題で、しかも良いか悪いかの判断も関係ない、ということだった。

 

3.【マズロー欲求段階説:現実での応用】

 

私が授業で習った時は、職業養成上のカリキュラムの一環として、マズロー欲求段階説は基礎知識として必修科目に組み込まれており、「人間理解の一つの指標として、将来職業人になった際はこの考え方を使って、その人がどの欲求段階にいるのか、何が必要なのかを見極め、その人に合ったやり方で人を助けてあげてくださいね」というものだった。

 

一方で、現代では「自己実現」という言葉とマズロー欲求段階説の考え方がマーケティングで結構使われているということも、今回の哲学チャットに参加して初めて知った。つまり、訳も分からず、消費者として「自己実現欲求」を掻き立てられている人がいるのではないか、ということだ。また、現代の生きづらさと連動して、「本来の自分の良さ、自分の夢を叶えましょう」みたいなこともあるのかもしれない。そこへ「自己実現欲求」を満たせば、生きやすくなる、幸せになるといった価値観が無意識に人々の中に広告的に刷り込まれるような形で入り込んできているのかもしれない。このことに関して、他の投稿者の意見がいくつかあり、私も納得できるものだった。

 

私はその中で、現代で使われている一般の人にとっての「自己実現」を理解し、うまく応用すれば、崇高だけど苦悩に満ち、なかなか達成できない「自己実現」ではなく、子ども時代の夢も叶い、幸せにもなれる「自己実現」も可能性があるのではないかと考えた。それが、最近ネット上で話題になっている“精神科医 Tomy”の情報発信記事と、今年発売された初の小説「精神科医Tomyが教える 心の荷物の手放し方」を読んで、私が勝手に考案・想像した半分フィクション・半分ノンフィクションみたいな事例だ。

 

医師が小説家になることはたまにあるし(他に、今年本屋大賞にノミネートされた「硝子の塔の殺人」のミステリー作家・知念実希人氏、「失楽園」で有名な作家・渡辺淳一氏がいる)、医師になる人の中には、親の期待を背負って否応なく医学部医学科へ進学する人、自分の適性と職業上の現実とのギャップに苦悩する人が現実にいることを私は知っている。私がこの事例を出したのは、理想論かもしれないけど、少しでもポジティブな意見を出すことで、意見を投稿してくれた人たちの希望につながるような、前向きな気持ちになれるようなきっかけを提示したかったからだった。そうして、私はいろいろと考えた末に、投稿期間終了 2日前に最後の投稿をした。ただしそれ以降は、個人的なスケジュールの都合上、私は投稿期間終了まで哲学チャットを開くことさえできなかった。

 

4.【哲学チャット投稿期間終了後:調べてわかった事実】

 

投稿期間終了後、改めて哲学チャットを開くと、私の意見に対する批判的な意見と、刺激を受けたという意見、マズロー欲求段階説についての細かい分類や順序の話が出てきており、私は改めてマズロー欲求段階説を学び直した。

 

私がそれまで知っていたのは5段階の欲求とその解説だけだったけど、実は最終段階の自己超越(自己実現欲求のさらに上にある第6段階の欲求)があることや、それらを含めた6段階の欲求段階には3つの分類(分類1:物質的・精神的、分類2:外的・内的、分類 3:欠乏・成長)があること、第4の承認欲求には低位の承認欲求と高位の承認欲求があることを、今回調べて初めて知り、理解するに至った。

 

また、マズロー欲求段階説そのものが批判を受けていることや、欲求段階が低位である方が幸せであるという研究が現実に存在していることや、欲求段階の順番が日本では「自己実現欲求」ではなく「安全欲求」が最上位であるという論文まであるという事実には驚かされた。

 

哲学チャットの対話を読むと、調べた学説に関する事実と照らし合わせても、最後の2日間は「自己実現」とマズロー欲求段階説の学説の本質部分にもかなり迫れたのではないかと思う。結局のところ、マズロー欲求段階説が現実の人間理解をする上で普遍的に正しいかどうかはよくわからないし、一つの考え方にすぎない上、その解釈や意見に多少の妥当性はあっても正解はない。自分なりに考えて「自己実現」するのかしないのかを決めればいいし、「自己実現に向かって邁進中」もアリだし、幸せを感じる欲求段階にとどまるのもアリだろうなと私は思う。

 

マズロー欲求段階説についての解説は、いろいろな記事を調べて読んだ結果、下記サイトが学説的に正確でわかりやすかったので、紹介いたします。気になる方は参考になさって下さい。

studyhacker.net

(てんとうむし)