なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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無限消費

 〈こころの豊かさ〉ということが言われるようになったのは、地球の限界が見えてきて、資源の面から見ても環境への負荷ということを考えても、単純に今まで通りに右肩上がりにはいかなくなりそうだということが、露呈して来た頃だろう。

 だから何も大量消費が道徳的に非難されるべきことではなかった筈だ。まず地球の限界ありきで、そこから逆算した道徳を設定して、「大量消費、大量廃棄は美しくない」とかまびすしく訴えるようになっただけだ。

 「それなら人類が宇宙に進出してゆくようになれば、事実上フロンティアは無限だ。そうしたら、西部開拓時代のようにゴールドラッシュよろしく第二の大量消費時代が、しかも期限なしでやって来る、とでも言いたいのか?」と尋ねてくるだろうか。

 そうではない。シンギュラリティを迎えるとされる2045年。AIの創り出す世界が仮想現実だとすれば、仮想が現実を凌駕してゆくわけだ。ならば、人類も現実に留まっている特別な理由はない。人類も仮想現実のなかに組み込まれてゆくのだろう。

 そのコンピューターのなかでは不可能はない。飛んできた拳銃の弾丸を片手で止めることなど、赤ん坊にもできる。文字通り稚戯である。それだけではない。地球上で1年間に消費されていた全エネルギー量も仮想現実の世界では1日で消費することもできる。文字通り無限消費が可能となる。

 もう〈こころの豊かさ〉を叫ぶ必然性はない。お望みならすべての人がアラブの王族の暮らしができる。そこではまったく新しい倫理学が構築されるだろう。

 こう書いてきて「どこかグロテスクだな」と感じないこともない。だが、現在の地球の潮流に流されてゆくと、ゆくゆく将来はこうなる。大多数の現実容認派(仮想の世界に住みこみ日常を送る人)とごく稀な炭素神秘主義派(肉体を持った生物に特別な価値・意味を認めるひとびと)の間のハルマゲドンの戦いが起きるだろうか。その時、お前はどちらに就くかって?

 永遠よりも有限の生に価値があると思っていた。だけど、それは文学だった。

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