なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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すみません。「ありがとう」が言えなくて…………

ちょっとした他人の親切に対して、思わず口にする「すいません」。

それに対して、「あれは止めるべきだ。ちゃんと『ありがとう』と言うべきだ」、このような意見を見聞する。なんとなく尤もな気がする。「何故親切に対して謝らなければならないんだ」「ちゃんと礼を言う。そのほうが親切をした側も、してもらった側も気持ちがいいだろ」と畳みかける。

でも、そういう〈常識〉を振りかざしてこられても、「すいません」と謝意を表す習慣は、そう簡単には無くならないだろう。もう少し〈すいません党〉の心理にも理解を示しつつ説得を試みて欲しかった。〈ありがとう党〉の主張、正しいから正しいんだ的な説得は、あまり心に響かない。「正論はただ唱えてるだけで良い」と考えておられるのは「ありがとう党」党首だ。

ここまで書いたら〈すいません党〉のマニュフェストを披瀝せねばなるまい。「ありがとう」は何となく自分よりも社会的地位が下ないし対等の者にしか使ってはいけない、というか使いづらい言葉のような気がする。

エレベータに乗っていて、ドアが開いたとき〈開〉を押して「お先にどうぞ」という親切を表してくれた人に対し、「この人は自分よりも目下の人っぽいから『ありがとう』って言えばいいんだ。でもそれって自分のほうが目上と僕は考えてるということの表明か。それじゃあ僕がヤな奴な感じがする。どーしよう。取り敢えず、ここは『すいません』か『ありがとうございます』のどちらかだな」と0.2秒の間に考えている。しかも自動的に。そして「『ありがとう』にいちいちつける『~ございます』は自分がへりくだった感じがしてイマイチだな。でも仮に目上の人に対してだったら『ありがとう』と言い切るのは違う気がするし」と潜在意識下で思考する。

そうこうする間にドアから出ている。感謝の言葉は忘れていない。ちゃんと言った。もう違うことを考えながら歩きだしている。

また、社会的身分の確認、マウントっぽい気がして「ありがとう」と言い切るのは疲れる。もちろん気心の知れた仲の人には親密な情の表れとして「ありがとう」と普通に言っている自分に気づく。だけど、全くの他人に「ありがとう」と言って、いちいち親密な雰囲気を醸し出すのも、なんだか面倒だ。

昔は一時期「あざーす」なる言葉が流行ったなーと思い出す。くだけた感じの「~ございます」という苦肉の策。だいたい芸能界では「~ございます」というへりくだった感じを強調したいが為に、昼だろうが真夜中でも、挨拶は「おはようございます!」だと聞いたことがある。芸能界に限らず、後輩が先輩に対して「ありがとう」とは言わないのでは。

 「ありがとう」は親切行為そのものに、「ありがとうございます」は相手の社会的地位に対して敬意を表しているようだ。とすると、相手の社会的地位が分からないときは「すいません」が無難。つまらないことに拘ってるとお思いだろうか?
(i3)