なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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私の中のちいさな『死』

どういうわけか、持病の慢性上咽頭炎が悪化して、ついでに味覚がなくなりました。
あらまー(;・∀・)コロナじゃないです。

初体験です。風邪をひいた時の「口がまずい」というのとも違って、完全に「なくなった」感じ。匂いはわかるので、飲み込む時に内側からふわっと食べ物の匂いはします。
焼き魚を食べたら、魚のくさみだけわかりました…。
酸いも甘いも苦いも辛いもわかりません。熱さと感触と刺激だけ。
麻婆豆腐を食べても、熱さと、ピリピリくる感じだけがわかります。

という体験をしている最中なのですが、それで何を感じたかと言いますと、
『死』DEATH。

本やネットで、美味しそうな料理写真などを見ます。すると一瞬「あ、美味しそう」と思うのですが、すぐに「ああ、でもわかんないんだった」と思うのです。
「美味しい」は、今や私から失われた感覚なので、そこから欲が生まれません。
要するに、そこだけ「死んでる」んです。
ざんねん……という感覚はありますが、それほど強いものではなく、あるのは軽い空虚感。空をふり仰いだら一片の雲が浮かんでいる…。それを見た時のポカンとした感じに近いかな。

今まであたりまえにしてきた事、できた事が、できなくなる。これ即ち『死』なんだなぁ、と。
そして、このポカンとした感じが『死』を感じる時の感じに近いのかも、と思いました。

十九歳の時、身体のある部分にしこりができて、「ガンかも?!」と思ったことがあります。結果的には良性でしたが、しばらくの間、世界の見え方が変わりました。
きれいな服を見つけて「あ、欲しいな」と思う。でも「もういらないかも」って思う。それと同時に軽い空虚感が訪れる。
この感覚が『死』なんだなぁ、と。

『生』は欲望そのものだから、欲望が生まれる土壌が損なわれると、そこからは何も生まれなくなってしまう。

目が見えるから本が読みたい、書きたい、映画も観たい…。耳が聞こえるから音楽も聴きたい…。声が出るからおしゃべりしたい…。脳が働くから知りたい、考えたい…。
『生』を支える感覚と欲望ってたくさんあるんですね(*´ω`*)

今、『味覚』という感覚が一個なくなってますが、私の中のちいさな『死』を想う時、同時にたくさんの『生』の土壌があることにも気づくことができて、生と死を同時にあじわうという面白さを感じています。

そういえば、十九歳の時に『死』を感じた時も、世界が美しく見えたという副作用がありました。空虚なんだけど、不思議にキラキラしてるんですよね。

……味覚はいつか戻るかもしれないし、戻らないかもー。まだ病院にも行ってないのでわかりません~

(ikue)