なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

● なごテツからのお知らせ ● ←ここをクリック!


愛着形成から考える愛着とは

i3さんの記事「愛着とは」を拝読し、私もコメントしたのですが、どうにもモヤモヤしてしまいました。このモヤモヤを言語化するため、またコメントのお返事として長くなってしまいそうだったので、今回記事にすることにしました。みなさんからもご意見いただけたら嬉しいです。

からすさんからの疑問もあり、改めて

  • 人間の「愛着形成」や、鳥の卵が孵化した際の「刷り込み」って何だろう?
  • 人間の赤ちゃんに「愛着形成」があるように、子犬や子猫の「愛着形成」はあるのだろうか?

と思い、いろいろと調べてみました。

私自身の解釈としては、“学術的”には「発達心理学の愛着」と「感情の愛着」は、完全一致ではなく、重なる部分があるのではないかと思っています。

愛着形成と刷り込みの共通点と違い:現象は似ているが、学術用語として定義が違う

教科書的には、発達心理学の「愛着形成」での「愛着」は、基本的信頼感です*1。これは、後に感情の分化(赤ちゃんにあるのは快-不快の感情のみで、成長とともに経験によって分化し、様々な感情が生まれるとする考え方)で生まれる愛情(という感情)の基礎になると私は思っています。

「愛着形成(無理矢理かどうかは私にはわかりませんが、確かに愛着はattachmentの日本語訳です!)」が発達心理学の言葉である一方で、「刷り込み(imprinting)*2」は鳥類に見られる現象で、動物行動学の言葉のようです。

現象としては人の愛着形成も鳥類の刷り込みも似ているけど、刷り込みには”学習臨界期“という、その時期を逃してしまうと、その後決して学習できないという限界があることが、決定的な違いなのでしょう。鳥類では、例え鳥の親でない相手(例えば人間であっても)を育ての親として認識してしまうと、それを覆して本来の鳥の親を育ての親としてもう再認識することはできない、ということだと思います。

一方で、人間の愛着形成は、大人になってもやり直しが効くと考えられているようだと、私は記事を読んで理解しました(専門外なので、私には学術的にはその理解が正しいかどうか検証はできません)。それは、幼い頃に育ての親(養育者)との愛着関係をうまく築けず大人になった人が、後に養育者とは別の人(例えば臨床心理師)と関係性を築きながら、良好な人間関係を築くための“基本的信頼感”(つまり愛着)を修正することが可能だとする考え方から、私はそう思うのです。

子犬や子猫の愛着形成と愛着障害愛着障害が人間とペットの社会関係に影響を及ぼす、動物愛護の視点

では、人間と同じような「愛着形成」が子犬や子猫にもあるのでしょうか?

実際には、子犬や子猫にも「愛着障害」という概念があるようで、それはやはり子犬や子猫の時に、母犬や母猫から分離されてしまうことで愛着形成ができないから、と考えられているようです。

犬や猫の「愛着障害」は、日本のペット産業の問題から出てきていています。かなり幼い子犬や子猫の頃からペットとして飼育したい人間側のエゴによって、子犬や子猫が親やきょうだいから引き離された場合、健全に成長できないのではないか、そのために社会的な規制が必要なのではないかという動物愛護の視点から議論されて出てきた概念といえます。

子犬や子猫の「愛着形成」がうまくいかないような幼齢での分離は、あまりにも幼い子犬や子猫を人間がペットとして迎えることで、人間とペットの良好な社会関係を築くのを妨げ、ペットとして問題行動も起こすだろう、とする警鐘を鳴らしつつ、「愛着形成」という概念はその科学的根拠にもなっています(環境省での動物愛護管理のあり方検討小委員会*3で検討された「資料3:犬猫幼齢動物の販売日齢について*4」が残っています。更に、その科学的根拠については改訂がありました*5)。

いずれにしても、私の疑問は「愛着形成」が本当に後の人間関係構築だけでなく、物や人に対する「愛着」にも広く繋がっていくのか?ということです。

時間軸を含めて深く考察されているi3さんの記事には、そのことにつながる側面がある一方で、この疑問を考える上で私の思考力ではどうにもならない限界がありました。そしてこの学術的な「愛着」は、言葉が指し示す愛着の一側面にすぎず、実際にはそう単純ではないはずだという考えも私にはあります。だからこそ、モヤモヤと違和感を覚えつつも、i3さんやからすさんの考える愛着にも納得してしまう部分もあったのだと思います。

みなさんは、どう思われたでしょうか?

(てんとうむし)