人は、いつも全てのことを完璧に理解したり、判断したりできるわけではない。どれだけ書物を読もうと考えようと、世界のすべてをわかったとはいえない。
また、なにかを知覚するときも、いくらでも勘違い、認識違いをする。個人の性格や価値観のバイアス、体調、その時々の環境が知覚を歪ませる。
思考や表現に使われる言葉にもゆらぎがあり(文学的には必要だが)、情報の伝達や理解という意味では100%正確なツールではない。
そんな不完全な理解力、知覚の持ち主であるにもかかわらず、人はなぜか自分は正しいという前提に立ってしまいがちなように思う(心身の安定のためには、当然ではあるが)。世間に諍いや揉め事が絶えない原因のひとつは、このためではないかという気がしている。
人を疑うのと同程度とまではいわないが、自分を疑うという視点もあったほうがいいのではないか。そうすることで、他者の視点も知ることができ、新しい場所へ思考を広げることができる。
真理は自分が見出すしかないが、自分の見える場所にあるとはかぎらない。自分の限界を自覚しておくこと。少しでも何かをわかるためには、このことが大切なように感じている。
(MK)