なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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正念場の「正念」とは

9月3日の日経新聞若松英輔さんが『言葉のちから』というコーナーでティク・ナット・ハンとマインドフルネスについて書いていました。

ティク・ナット・ハン著の『沈黙』という本に「呼吸と体が一体となると、失念(フォゲットフルネス)ではなく、正念(マインドフルネス)の生活が実現できるのです」という記述があるらしい。同氏によると、正念場の「正念」がティク・ナット・ハンの「マインドフルネス」と同義とのこと。

それを読んだとき、なんとなく「念」という言葉のイメージとマインドフルネスのイメージがあわないような気がしました。あくまで個人的な感覚ですが、念という言葉には、「怨念」「執念」などで表されるドロドロした感情がつきまとっているような気がします。

そこで「念」について調べてみました。念とは、パーリ語でいう「サティ」のことで、「心のなかで思うことを意味している」(仏教辞典)とのこと。念という漢字を分解すると、「今」と「心」に分かれます。つまり「心を今に留める」ということだとしたら、若松氏の指摘通り「マインドフルネス」と同義と言えるかもしれません。

ついでに「正念」について調べてみたら、仏教用語だったんですね。八正道の七番目に出てくる言葉で、意味は「物事の本質をあるがままに心にとどめ、常に真理を求める心を忘れないこと」(デジタル大辞泉)。この「心にとどめる」という部分が「念」という言葉で表されているのではないかと考えると合点がいきます。

ちなみに八正道には「正見」「正思惟」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」があり、七番目に「正念」が出てきます。おそらくこの順番も大事で、正しく考えて正しく行動するには、まず「正(しく)見(る)」ことが大事。ここを間違えてしまうと、そのあともすべて「正」ではなくなりますから。

先日、「外見」というテーマでおなごテツを開催しましたが、そのとき出てきた言葉のなかに「見た目はその人があらゆるものから選択した結果を表現している。つまり見た目はその人の選択の集合。だから自分は判断する上でかなり見た目を重視する」という意見があり、たいへん感銘を受けました。

いわゆるルッキズムとは違い、その「人となり」を正しく理解するためにきちんと「見る」ことは、存外とても大事なことなのではないかなあと。その上で「正思惟(正しく考える)」し、「正語(正しく言葉にする)」し、「正業(正しい行いをする)」ことを「正念(忘れない)」できれば、わりといろんな課題が解決できるのではないかと思ったりしました。

(真)