なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

● なごテツからのお知らせ ● ←ここをクリック!


報われない社会は良い社会?

以前、某対戦ゲームについて、プロゲーマーの方々がこんな話をしていました。
「このゲームは面白い。勉強したら、練習したら、その分だけ結果に結び付き易く、努力した分だけ報われるゲームだから」

が、暫くすると今度は別の言葉が聞こえてくるようになりました。
「このゲームからは、既に多くの人が離れてしまった。実力が一定以上同士の対戦環境になると、メンタルが辛いから。負けても、他の何かの言い訳にしにくいから。自分の実力不足で、自分が原因で負けたという現実をモロに突き付けられるから」

似たような話は将棋や囲碁の世界でも耳にします。
「運負け」があるゲームは理不尽にも思え、敵味方で差があるゲームもそれ故負けることがあり、それを理由にクソゲーだの何だのと腹を立てることはあります。

が、逆に実力以外に言い訳の余地が無い対等なゲームは、「勉強すればするほど強くなる」という充実感を得易い反面、敗戦時のメンタルへの負荷が大きいそうです。

   ------------

さて、話は変わり、ゲームではなく社会の話。

昨今の日本は「親ガチャ」や「才能の民主化」など、その言葉の是非はさておき、SNS上では「不運」を理由に自身の現状を正当化する言説をしばしば目にします。

また、フェミニズムや障害者差別などの文脈においても、「自分が不幸なのは社会が悪いからだ」という『他力』的な言説をしばしば目にします。

個人的には、それらの言説は一理あると思う…のですが、今回はそうした話ではなく、
「そうやって『運』や『他力』のせいに出来る社会って、実は当人の精神衛生上は優しい、良い社会なのでは?」…という話です。

逆に言えば、
・努力すればした分だけ報われる
・誰もが自分の道を自分の意志で多様な選択肢の中から選べる
・生まれや環境に左右されない程に豊かな公的支援がある

という社会はすごく理想っぽいですが、人間の認識は相対的である以上、どんな環境でも周囲と比べ不幸を感じる人はいるもので、しかしそれを社会のせいに出来なかったら、それは絶望でしかない気もするのです。

実際似た話として、「多様な選択肢なんて要らないから、社会的に敷かれたレールの上をただ進めば良く、それで上手く行かずとも社会のせいに出来た時代の方が良かった」なんて声も耳にしたりします。

これはただの妄言ですが、
「幸福度が高い社会 なのに 自殺率が高い」
ではなく
「幸福度が高い社会 だから 自殺率も高い」
という側面もある…かもしれません。

十六夜燕雀)