なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

すみません。「ありがとう」が言えなくて…………

ちょっとした他人の親切に対して、思わず口にする「すいません」。 それに対して、「あれは止めるべきだ。ちゃんと『ありがとう』と言うべきだ」、このような意見を見聞する。なんとなく尤もな気がする。「何故親切に対して謝らなければならないんだ」「ちゃ…

「私ごとき」の世界

11月19日の「対話とは」特設ページに書かれたコメントを読みつつ、以前LINEでの何気ない雑談から対話になった時、「これ記事にするよ」と言ったまま放置していたものを思い出しました。 私がよく口にする「私ごとき」という言葉に関するものです。 「私…

編集部よりお知らせ:11月26日:「普遍と個別」特設ページ(コメント募集)

11月26日の哲学カフェ「普遍と個別」にご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 カフェで話題に上ったトピック 普遍とは共通して持っている概念 芸術・文学に含まれる普遍的感動の形 共通性、恒常性から普遍性への格上げ 普遍性を導く時に埋め込…

〈たてまえ〉。——————ほんねを超えて

あなたは〈たてまえ〉と〈ほんね〉のどちらに興味があるだろうか? 「確かに他人の〈ほんね〉は知りたい。それは通常、隠されているものだから。それに対し〈たてまえ〉はいつも目に触れるところにある。嫌でも認知するところのものとなる。だから特別、希求…

フリフリ。

散歩中、柴犬を見た。尻尾をフリフリさせて飼い主さんと歩いている。フリフリ、フリフリ。ああ、この柴犬は明日のことなど思い煩っていない。おそらく昨日叱られた(かも)ことも忘れている。 もちろん、いつか自分が死ぬということも知らない。フリフリ、フリ…

編集部よりお知らせ:11月19日:「対話とは」特設ページ(コメント募集)

11月19日の哲学カフェ「対話とは」にご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 カフェで話題に上ったトピック 共同体の対話と個人の対話(共同体は規範、個人は感情を重視?) 閉じられた人と開かれた人 対話と議論の違い 対話の成立に必要なもの…

箸休め的論考=読書論

頭を酷使している皆様の為に、ここに箸休め的エッセーを記す。たぶん読んでも考える力は養われない。そして何も得るところがない。ブログのインフレ化の走り。ただ、自分の投稿ノルマを果たしたい一心の愚行ではないか。他人の迷惑を省みないとは、このこと…

妖怪は何処へ行った?

妖怪が跋扈していた頃は、そんなに昔のことではない。だが、現在妖怪は神社の境内にも、人があまり通らない細道にも、まして家のトイレにも姿を見せなくなっていた。 科学の発達が、妖怪などという非科学的な存在にとどめを刺したと思われているが、それだけ…

哲学者のための統計学入門2

※「哲学者のための統計学入門1」はこちらにあります。 「数学なんて勉強して何の役に立つんだ」という話をしばしば耳にします。まぁ実際、数学なんて使わずとも人生を幸福に終えられる方は多いでしょう。しかし、情報が溢れ返り、不可思議な怪異が姿を消し、…

曇り空と暮らす

日本海側に住むということは、曇り空と暮らすことを意味する。冬場はほぼ洗濯物を外に干すことはないし、突然の雨に備えるために、晴れた日も天気予報の確認を怠らない。 初めて冬に太平洋側を訪れた時、マンションのベランダにずらりと並らぶ布団に衝撃を受…

編集部よりお知らせ:11月12日:「安全な社会と安心な社会」特設ページ(コメント募集)

11月12日の哲学カフェ「安全な社会と安心な社会」にご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 カフェで話題に上ったトピック 安全な社会と安心な社会の関係 安全-客観、安心-主観? 安全/危険と安心/不安 安心と信頼 安心な社会でなければダメな…

音楽で建てられた凱旋門:後編

※前編はこちらにあります。 言葉を使わない思考の存在:感性と感受性、感情とは何か 知能:知能指数IQと心の知能指数EQとは何か 注目される非論理的思考:ノンリニア思考、デフォルト・モード・ネットワークによる創造性 科学的事実と主観的なラベリングの違…

音楽で建てられた凱旋門:前編

何というインパクトと感動だろうか。無防備な状態で涙がとめどなく流れるのを止められず、言葉にならず、ただ感情が大きく揺さぶられるのを感じる。 私がいた場所はコンサートホールで、あと数時間で台風が当地に襲来し、一部の公共交通機関は計画運休する直…

個別と普遍

ひとは普遍という共通のものを持ち合わせているのだろうか。それとも、所詮ひとそれぞれ、個別があるのみなのだろうか。 たとえば味覚。同じものを食べても、個人差があるのだから、受け取る味は別々。だが、おにぎりを喫する時、同じ〈コメ〉ということばで…

殺人を犯したのは誰なのか

先月末、笠井潔による「矢吹駆シリーズ」の最新作「煉獄の時」が出版された。私はまだこのシリーズを読んだことがなかったが、ミステリ好きの友人がしきりと褒めるので、シリーズ一作目である「バイバイ、エンジェル」から読んでみることにした。 読み始めて…

編集部よりお知らせ:11月5日:「安全を担保するためのコスト」特設ページ(コメント募集)

11月5日の哲学カフェは、テーマその場決め。投票の結果、テーマは「安全を担保するためのコスト」となりました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 カフェで話題に上ったトピックの一部 個人情報とセキュリティの問題 社会的リスクに対する…

契約は呪術である(『秋の盛りに』へのオマージュ)

「未来を予知できたなら」と人は願う。だが古代では、人は未来を創造していた。どういうことなのか。暦である。 いつ頃から、この暑さを感じなくなり、秋の気配を感じるようになるのか。「彼岸」である。また、日が短くなるのはいつからか。「立秋」以降だ。…

コスモスが咲いている

自宅の近くを流れる武庫川のほとりに「武庫川髭の渡しコスモス園」という場所があり、10月中旬から11月中旬にかけてコスモスが咲き乱れる。 会社への行き来で通るところだが、昨年初めて足を止めた。これまでは、花を見ることができる時間にここを通っていな…