なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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おなごテツで話題に上った『幸福の王子』は幸福か?

先日のおなごテツ「世のため、人のためって何のため?」で話題になった『幸福な王子』、私はストーリー(特に結末)をちゃんと覚えていなかったので、終了後あらためて読んでみました。

ツバメは当初王子に引き留められて仕方なく宝石を貧しい人達に運ぶのですが、王子の目であるサファイヤを届けた段階で(王子の目が見えなくなった段階で)、自らの意思でエジプト行きを断念し、死を覚悟した上で王子の元に留まることを選びます。ところがこの王子、自らの死期を察したツバメがお別れを告げに来ても、旅立ち=エジプトに行くと勘違いするという見事な鈍感っぷりを示します(現実世界でもこの組み合わせ、よくあるような……)。ツバメは息絶え、その時王子の鉛の心臓も真っ二つに割れてしまいます。その後みすばらしい姿となった王子像は溶鉱炉で溶かされ、残った鉛の心臓と捨てられたツバメの死骸が最後に天使の手によって天上に運ばれた、というラストシーンでこの物語は終わります。

幸福の王子』とよく比較されるのが、同じ童話集に入っている『ナイチンゲールと赤い薔薇』という作品です。このお話では、若い学生に愛を捧げるナイチンゲール(夜鳴鳥)が、その学生が探し求める赤い薔薇を用意する為に自らを犠牲にします。ナイチンゲールの血で薔薇が染まっていく場面は、いかにもオスカーワイルドという美しい描写で描かれています(1970年代に『まんが世界昔ばなし』でアニメ化されていたということを知って驚きました)。そこまでして用意した赤い薔薇が結局は役に立たず捨てられる、という皮肉な結末が用意されていますが、このお話は、愛が一方通行で報われない、わかりやすい構造になっています。

これに対し『幸福の王子』の構造はやや複雑です。王子の行為には愛があったのか、ツバメは最終的に王子を愛していたのか、王子は心臓が真っ二つに割れる前にそれを受け止めたのか、彼らは幸福だったのか、幸福とな何なのか、解釈がわかれるところです。王子とツバメが天国に召されるという結末もハッピーエンドのように見えますが、寧ろより捻った皮肉と取ることもできます。

王子とツバメが幸福であったとしたら、天国に召された時ではなく、ツバメは王子への愛を認識した瞬間に、王子は心臓が真っ二つに割れる直前にツバメの愛を受け止めた(或いは受け止めきれなかった)瞬間に、幸福を得たのではと私は思います。

「幸福」ということばには、何か憂鬱な調子がある。 それを口にするとき、すでにそれは逃げ去っている。 よい思想はけっして人間独自の仕事ではない。 それは人間をとおして流れ出るだけのものである。
ヒルティ著『幸福論』より

王子とツバメは幸福だったのか、みなさんはどう思いますか?
青空文庫に翻訳テキストあります。

(福)