なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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【8月のお題】 夏休みの宿題(注:怖い話)

久しぶりにTUBEの「あー夏休み」を聞きながら、これを書いているわけですが……紳士淑女の皆さん、もう夏休みも終わりですよ。

えっ? やっぱり日本の夏はサザンだろ、って? はい、大好きです。 ええ、もちろん異論はございません。

ええっ、オメガトライブも忘れるなって? 同意です。 君に1000%同意ですが、歳バレますよ?

先に進ませていただいてよろしいでしょうか?          ……はい。

夏ということで、ちょっと怖い話をしたいと思います。

親戚の中学生と「今年は修学旅行が中止にならなくて良かったねえ」なんて世間話をしていた時のことです。

彼が「それはいいんだけど、夏休みの宿題が終わんねえス」とのたまうんですよ。

あー、あったなぁ、夏休みの宿題。

「俺も全然 終わんなかったし無問題(モウマンタイ)だよ!」とも言えず、不覚にも「まだ一週間あるし頑張って」的な、判で押したような励ましをしてしまった私。

金太郎飴でも、もうちょっと個性があるんじゃない?と思うぐらい、無個性なコメント。 自分でも驚きました。

当事者意識がないことについては、こんなにも没個性的になってしまうのかと。 もしかして、これがハイデガーの言う「頽落」ってやつ? 怖いよ。

ちなみにですが、2008年生まれの彼は、サザンは知っているけど、オメガトライブは聞いたことない、と言ってました。

それでもめげず、「カルロス・トシキは今やニンニク王なんだよ!」という、ファン以外には意味不明の講釈を垂れていたら、「あっ、浪漫飛行の人?」って言われました。 それカールスモーキー石井な。

いやあ、ジェネレーション・ギャップって怖いですね!……って、そういうオチではありません。

「無問題」と言えば、先日NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組でも、「なぜ夏休みの宿題は終わらないの?」というクイズを出していました。

答えは「これからやることを、7つしか覚えられないから」

少し長いですが、理由も紹介させてください。

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人間の脳には長期記憶と短期記憶がある。

読み書きや、自転車の乗り方など、生きていく上で必要なことは、反復学習と継続利用によって、長期記憶に定着する。

また、楽しかった修学旅行や、オメガトライブのライブなどは、強い感情を伴うので、思い出(長期記憶)として脳に残る。

それ以外の多くのこと、つまり日常生活のあれやこれやを担当しているのが短期記憶。

目的が達成されると、すぐに忘れる記憶のことである。

長期記憶が学習ノートや日記だとすると、短期記憶は冷蔵庫に貼るメモだと考えれば分かりやすい。

スーパーの買い物リストは買い物が終われば捨ててしまう。

このメモ(=短期記憶)の弱点は、一度に書き込めるタスクが7つほどしかないこと。

しかも、この限られたToDoリストの中で「すぐやること」と「楽しいこと」を優先する性質がある。

これが夏休みの宿題とすこぶる相性が悪い。

長い夏休み、まだ時間の余裕があるなーと思っているうちは、宿題は「すぐやること」には入らない。

旅行、ゲーム、夏祭り、プール、オメガトライブの(略) 、などなど「楽しいこと」が次々とやってきて、優先的にリストを占める。

かくして宿題は優先順位7位までに入ることができず、ギリギリまで先延ばしにされる運命にある。

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「なるほどぉ、夏休みの宿題は終わらない、これは科学的に証明された真理なのか」と妙に納得してしまった、という話。

ええッ、全然怖くない? そんなの子どもの時から分かっていたぞ、って?

いやいや、紳士淑女の皆さん、ここからなんですよ。

この番組を見て、社会学者の大澤真幸氏の講義で聞いた、あるお話を私は思い出したのです。

「裏返しの終末論」という話です。

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3.11の原発事故を考えよう。

震災のずっと前から、大地震津波が起きた時の原発の安全性に対する専門家の指摘はあったという。

大惨事を招く危険が潜んでいると知りながら、しかも時間的猶予がありながら、なぜ然るべき対処ができなかったのか?

その理由は、"絶望できていなかったから"だ。

いつでも破局的状況が起こりうるのだ、と理屈では分かっているつもり ― でもね、それは確率の上での話。

実際に3.11までは「まあ、しばらくは大丈夫じゃないか」「結局は起きないのかもしれない」という"希望"を持ってしまう。

それが人間の性。

本当に為すべきことを為すには、破局は絶対確実に訪れるのだと"絶望"しなければならない。

これは原発に限らず、気候変動対策でも同じこと。

今、人類に必要なのは、希望ではなく絶望なのだ。

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「さあ紳士淑女の皆さん、絶望しましょう!」って、どうです? なかなか怖いお話じゃないですか?

それにしても、どこか似ていませんか?

まだ余裕があると思って、夏休みの宿題に着手すらできない人間の短期記憶。

「しばらく大丈夫だろ」という希望的観測で、潜在する危機への対応を怠った東京電力や政府機関。

私の中で、この2つがリンクしてしまったのです。

もちろん、上記の話を全て鵜呑みにしようとは思いませんし、原発についても、違うご意見があるでしょう。

そもそも、気候変動のような世界的な問題を、夏休みの宿題という個人レベルの話と一緒くたに語るのは、適切とは言えません。

同時に7つしか覚えておけないショボーい短期記憶と違って、政府機関などの関係組織では、日々、為すべきタスクが確実に実行されているはずです。

綿密な長期計画のもとに。 そのToDoリストに漏れはないはず。 私も、そう信じたいですよ。

ただ、3.11について言えば、東電や政府は宿題を終えられなかった……と言えるのではないでしょうか?

そう考えると恐怖です。 ある意味、怪談よりもリアルに怖い。

さて、人類が取り組まなければならない宿題、いくつもあります。

たとえば、2050年までのカーボン・ニュートラル達成という難題。

2050年と言えばですよ、中学生の彼が、ちょうど私の歳になって……いない! 42歳! Ouch! まだ私よりも●歳も若い。

あぶないあぶない、危うくサバをよむところでした。 あと28年という歳月、余裕がありそうで、意外とスグかも……。

パンデミックが抜き打ちテストだとするなら、気候変動は期末試験だ」と、ある科学者は言っています。

そっかあ、期末試験なんてものもありました。

しかも宿題提出と同時に期末試験かよ。 休みが終わってほしくない。 2学期が憂鬱ですね。

できれば永遠の5歳児でいたいですね。

ホモ・サピエンスラテン語で「賢いヒト」という意味だと言います。

けど、この賢いヒト、22世紀に進級できるんでしょうか?

すみません。 なんだか、怖い話じゃなくて、だんだん暗い話になってきちゃいました。

書いている私も、もう限界です。 feel so blueです。

こんな時は、あの名曲を聴いて、心を潤すべし。

「Stop the season in the sun

  心潤してくれ

  いつまでも このままで いたいのさ」

              シーズン・イン・ザ・サン (TUBE)

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