なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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つわものどもが夢のあと

先月、中尊寺を見てきました。かつて松尾芭蕉がこの地を訪れたとき、深く悲しみながら詠んだ句が「夏草や 兵どもが 夢の跡」だったそうです。

中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれましたが、大規模な造営に着手したのは、奥州藤原氏初代清衡公。清衡公は、辺境の地と見られていた東北地方に、平等思想に基づく「仏国土」をあらわそうとしたとのこと。

そのご利益なのか、平泉は100年にわたって平和な地でした。しかし、源頼朝と対立した源義経が平泉に落ち伸びたあと頼朝に攻め入られ、中尊寺は荒れ果て、宝物は京都伏見に運び出されてしまったそうです。

藤原氏が滅亡した500年後、松尾芭蕉はこの地を訪れ、あちこちを見て歩いたあと、深く悲しみながらあの句を詠んだとか。

仏国土を現世に具現化した清衡公の志は、人と人との争いの犠牲になって見る影もありません。芭蕉は、目の前の風景と500年前の情景を重ね合わせ、しみじみと無常を感じたのでしょう。人は素晴らしいものを作り出しますが、戦いの中でそれをあっけなく壊してしまう。今も世界のあちこちで同じことが起きていますね。

それから時の流れを経て、第二次大戦後。「文化財保護法」が制定され、金色堂は国宝建造物第一号に指定され、3000点以上の宝物は国宝・重要文化財の指定を受けます。さらに平成23年(2011)には「平泉-仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」として世界文化遺産に登録されました。

このように、歴史の渦に巻き込まれて数奇な運命を辿った中尊寺ですが、2024年は金色堂建立900年にあたる年で、さまざまな行事が予定されているそうです。たとえば来年の1月23日には東京国立博物館で特別展が開かれるとのこと。詳しくは、こちらをご確認ください。

(真)