争いや諍いが止まらない理由のひとつに、「人は皆、理解し合えるはず」という思い込みがあるように思う。実は、他者を理解できたと思うこと自体が幻想で、理解できない状態のほうがデフォルトなのではないか。
他者を理解できない状況は、人にとって不安定だ。相手の像を自分の中に結べるまで、その印象を何度も更新し続けることになる。時間をかけても相手のイメージが掴めず、プラスの要素も感じられなければ、ストレス状態に陥るだろう。理解できない相手をいっそ敵とみなせば、それ以上考え悩む必要がなくなるので、脳も楽になりそうだ。相手の印象を更新することを止めた思考停止状態が、争いや諍いを引き起こしているのではないだろうか。
そこに陥る前に回避することはできるのか。たとえば、ストレスが続くと脳は休憩を求めることを知っておくこと。時には相手を全否定しなければ自身を肯定できないほど、人が脆い存在であることを自覚しておくこと。理解できない相手も、自分と同じく傷つき易い未熟な人間であることを想像できること。理解できない相手だからこそ、早急に判断せずに礼を尽くすこと。
そんなことが腑に落ちると、争いや諍いを避けたり、脱したりできるのかもしれない。当事者だけでは解決が難しい状態にまでなった時は、第三者の善意のお節介を有り難く受け入れたい。
面倒でも、時に片目をつぶって休みながら、完全に目は閉じないこと。他者を理解するには、そんな忍耐強さといい加減さが必要なのかもしれない。
(MK)