なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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教育とは

母「もっと現実的に今後のことを考えなさい。じゃないと将来、貴方はきっと後悔する」
娘「私の幸せを勝手に決めないで!」

朝ドラを見ていると、「働くのではなく嫁に行きなさい」的な文脈で、こんな感じの親子のやり取りのシーンを度々目にしますが、皆さんの目にはどう映るでしょうか?
古い価値観を持つ親が、新しい価値観を持つ子供を否定する場面?支配型の毒親の姿?
そうですね。今の時代、これは良くなさそうですね。
もっと子供の意向を尊重してあげるべきですね。

では、

母「もっと現実的に今後のことを考えなさい。じゃないと将来、貴方はきっと後悔する」
娘「私の幸せを勝手に決めないで!」

という親子の台詞自体はそのままに文脈を変えて、実は娘が「推し活」と称して女性向けコンカフェ(平たく言えばホスト)などにのめり込み、そこに貢ぐための資金稼ぎのアルバイトで消耗し、それを窘めようとする母と、それに反発する娘という構図だったら?
あれ? 同じ台詞でもこの場合は毒親ではなく、良識的な親でしょうか?

では更に、

その子が資金稼ぎのためにパパ活(一応現行法では、女性側は年齢問わず法律違反ではない模様)などにも勤しんでいたら?
流石に「自分のことを大切にして!」などと窘めるべきでしょうか?
しかし、それに対しても「私の幸せを勝手に決めないで!」と返されたら?
その子供の意向を尊重しますか?
それとも、その子の意向は盲目性に起因するものと、セルフコントロール力の欠如であると判断し、親の価値観を押し付けますか?

では更に更に、

一見無価値に見えるそれが、実はその子にとっての生命線で、生きる支えであって、それを周囲が善意から無理やり矯正しようとした結果、その子が命を放棄したら?
善意故の行動なら無罪?
いえいえ、地獄への道は善意で舗装されているものでは?

そして更に更に更に、

その子がやっていること自体は同じでも、その目的が「推し活」などではなく、例えば何かしらの事業を起こすための資金稼ぎ的な、何かしらのキラキラした夢を目指すための無茶だったとしたら? 
そもそも目的問わずパパ活が良くない?

では例えばその子が、その子の望んだ部活動や芸能活動で睡眠時間を削り精神を擦り減らし、しかし自身の目標に向かって目を輝かせながら、そのためにはある程度の無茶が必要な状況においても「自分のことを大切にして!」と同様に窘めますか?

売春や推し活で消耗するのは下だが、部活動や芸能活動で消耗するのは上?
でもそれって随分と勝手な、親の価値観の押し付けではないでしょうか?

推し活は将来性がない?プロゲーマーやストリーマーという職業が成立する時代に?
将来の社会の価値観がどうなるか、一体何が仕事になるか分からない時代に、現在の価値基準で将来の選択を絞る?
それって昔の「女性が勉学や仕事だなんて! 悪いことは言わないから、若い内に嫁に行きなさい! その方が貴方は幸せになれるのだから!」と何が違うのでしょうか?

もし、違法ではない範囲内においても「尊重すべき子供の意向」と「窘めるべき子供の意向」があるとするなら、その分水嶺は何なのでしょうか?

セルフコントロール力の有無?盲目的か否か?
ではその子は「盲目性故にそうしているのか否か」、そして「そうしないと生きられないからそうしているのか否か」を、周囲がどうやって判断するのでしょうか?
「貴方は幼いからまだ分かってないのよ」を免罪符にすることもまた昔と同じですよね?

逆に、目先の子供の意向を尊重した結果、当人が後々になってから後悔して「どうしてあの時、無理矢理にでも止めてくれなかったの?」と、将来口にする可能性についてはどう捉えるべきでしょうか?
それは本人の責任なのだから、そんなものは知らん?それは流石に教育の放棄で、親や教育者として無責任では?
それは社会が悪い?確かにそういう側面もあるとは思いますが、それはそれとして、今の眼の前の子にはどう対応するのですか? 

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「子供の意向を尊重する」

それは素晴らしいことだと思います。私も賛同します。
しかし、こういった言葉の想定には大抵「良い子」しかいません。
先に挙げた例は極端にしても、勉強せずただただ怠けていたり、学級崩壊していたり、周囲に加害していたり、危うい趣味に興じたりと、実際には本当に多種多様な子がいます。

では、そういう「大人の尺度に合わない子供の意向」は窘めるべきなのでしょうか?
それって「子供の意向を尊重しなかった」と揶揄される昔と何が違うのでしょうか?
当時の大人だって、当時の価値観に基づいて善意でそう接していたのでは?

という訳で、今回は「教育とは」というテーマで書いてみようと思った…のですが、幾分論点が多過ぎて、ホントに多種多様過ぎて、私の頭の中でも上手く纏められなかったので、ならばいっそと開き直り、所謂『トロッコ問題』的な、読み手の思考を掻き乱す系の悪文を書いてみました。

十六夜燕雀)