昨年(2023年2月)、和歌山を巡る旅に出ました。お目当ては那智の滝と熊野三山でしたが、友だちに「ぜひ補陀落渡海の出発地だった補陀落山寺にも」と勧められ、行ってみることにしました。
「補陀落渡海」とは、30日分の食料と灯火のための油を載せた小さな屋形船に乗り、そこから浄土を目指すという修行。ちょっとした冒険の旅のように聞こえますが、境内に展示されている復元された尾形船を目にすると、その印象は吹っ飛びます。尾形船の中はとても狭く、人ひとりが座禅を組むスペースしかありません。しかも扉は外から釘で打ち付けられていたそうで、自力で外に出ることはできません。荒波に飲まれたら、きっとひとたまりもないでしょう。
当然、そんな状況で生きていられるはずはないので、この船に乗る僧は死を覚悟していたようです。船に乗るとき、恐ろしくはなかったのでしょうか。「やっぱりやめます」という人はいなかったのでしょうか。
気になって調べてみると、戦国時代に渡海しようとして途中で怖くなり、尾形船を破って逃げ出した僧がいたようです。しかし彼は役人から海に突き落とされ、死んでしまいました。なんと痛ましい話でしょう。この事件がきっかけとなり、江戸時代からは生者の補陀落渡海はなくなったそうです。
僧の人間らしい一面を知って「そりゃそうだよね」と思う一方で、命を捨てても浄土にたどり着きたいという強い信仰心にも惹かれます。強い想いに突き動かされて想像以上のことを成し遂げるのも、人間が持っている特性のひとつかもしれません。
(真)