なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

まるであたかも○○みたいだ

オノマトペは比喩になるのだろうか?
オノマトペは何かの喩えなのか?ということだ。

比喩には、大きく分けてふたつの技法がある。
直喩(○○の如し)と隠喩(「みたいだ」等は使わない。Cf.彼の絵画は音楽だ)。

ここからが本題。
『犬の鳴き声は日本ではワンワンだ』

犬の鳴き声は実際『uuwuv uwanvwanu』 なのかも知れない。
それをステレオタイプに『ワンワン』と表記したのが上記の例になる。
つまり実際の音を『ワンワン』と単純化しているのだ。
これは隠喩っぽい気がしないだろうか?実際の音を『ワンワン』と譬えてないか?
ならば隠喩として解決だ…………ちょっと待った!

例Cf.で挙げたケースでは、彼の絵画≠音楽なのだが、彼の絵画のもつ性質と音楽の持つ性質が似ているところがあるから『彼の絵画は音楽だ』という隠喩が可能なのだ。
ならば同様に犬の鳴き声≠ワンワンなのだが、犬の鳴き声の持つ性質とワンワンの持つ性質が似ているから『犬の鳴き声は日本ではワンワンだ』は比喩だと言えるのか?
まず『犬の鳴き声』=『ワンワン』と言って良いので、この時点で隠喩の構造から外れている。よって『犬の鳴き声は日本ではワンワンだ』は隠喩ではあり得ない。

隠喩というのは『まるで~のようだ』を付け足して直喩にすることが出来る。
だから『彼の絵画は音楽だ』は『彼の絵画はまるで音楽のようだ』とすることが可能だ。
では『犬の鳴き声は日本ではワンワンだ。』に同じ操作を加えて
『犬の鳴き声は日本ではまるでワンワンのようだ』となるが、ちょっとおかしい。
犬の鳴き声は日本では=ワンワンだからだ。
つまり『1+1=2』において2は1+1の比喩では無いのと同様に、ワンワンは犬の鳴き声の比喩ではない。

しかし…………、それでもオノマトペは比喩のような気もする…………..
実際の音を『ワンワン』と譬えているのだから。
 ところが、写し取っているとみれば、オノマトペは比喩ではない。ちょうどカメラが外界を写し取っていても、フィルムに写った景色は何かの喩えではないのだから。

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