今月のお題は「鬼」ということで、まず頭に浮かんだのが上田秋成の『雨月物語』に収録されている「青頭巾」というお話。以下、簡単にあらすじを紹介します(かなり端折っていますが)。
ある村の高僧が、溺愛していた美少年の稚児僧の病死によって鬼と化し、日ごとその屍肉を貪るようになってしまいます。村人に頼まれてその庵を訪ねた禅師は、荒れ果てた寺で妖鬼のようにさ迷う僧に以下の句を授け、青頭巾をかぶせました。
江月照松風吹
永夜清宵何所為
一年後、禅師が再び庵を訪ねると、その僧はまだこの二つの句を唱え続けています。禅師が僧の頭を叩くと、氷が朝日に当たって溶けるように僧は消え、後には青頭巾だけが残りました。
この二つの句は、「川を照らす月、松を吹き抜ける風、この清らかな景色は何のためにあるのか(天然自然にそうなのである)」という意味なのですが、禅師は何故この句を授けたのでしょう? そして僧はどう受け止めたのでしょう? 文字通り自己を脱却して無心無我の境地に導こうとしたという説、ただ唱えさせることによって(執着から意識を逸らして)救おうとしたという説、解釈は色々ありますが、私は青頭巾をかぶせ句を唱えることによっても、この僧は解放されないことを禅師はわかっていたのではと思います。
青頭巾を残して消えたラストについても、一見成仏したように見えますが、ただ消えてしまったと思えなくもありません。執着故に鬼と化し、得悟することもなく、人に戻ることもなく、ただ無になる、それもまた救いだったのでしょうか。
このお話を基にした漫画や映像作品は数多くありますが、水木しげるの『新・雨月物語』には少し捻った結末が付け加えられています。村人に乞われてその寺の住職となった禅師が、数年後に稚児僧を連れて帰っているのを見て村人が驚くというラストシーンです。この禅師も鬼と化してしまうのか、それとも稚児僧を愛でても鬼にならないのか、どちらなのでしょう。
そういうアレンジや解釈を抜きにして、『雨月物語』にはひたすら妖しく美しい世界が広がっています(「吉備津の釜」もおススメです)。興味のある方は是非美しい原文に触れてみてください。