なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

● なごテツからのお知らせ ● ←ここをクリック!


『楽しい』のイメージ

この記事を書く、ほんの三十分ほど前のこと。
なごテツ以外の、とある哲学カフェに参加して「楽しい」について考えた。
ただ、以下は「考えた」事というより、対話を終えて浮かんできたイメージ。

以前、友達から
「いくちゃんは霞(かすみ)を食べて生きてるんでしょう」
と言われたことがある。それが本当かどうかはともかく、もしかしたら霞の正体は「楽しい」なのかもしれない。
私は「楽しい」がたしかに好物だから。

「楽しい」は無限に空間に漂っていて、見つける気になればヒョイと掬い取れる。
掬い取った「楽しい」を食べたり身にまとうと、ほわっと温かい。

「楽しい」が空間に漂っているなら、もちろんその他の「苦しい」や「悲しい」と名の付く霞も浮かんでいる。
それもまた、見つける気になれば「楽しい」以上に容易に見つかる。しかしよく見ると、それらはクルクルと反転して「楽しい」や「うれしい」に変っていたりする。
逆に「楽しい」もよく見ると「苦しい」に反転しているものがある。

私はしばらく観察している。周囲に漂う霞たちは観る角度によって変化している。
ここかな、あそこかな、って視点をずらして、「楽しい」がたくさん見つかる場所に留まってみる。
そうなったら、「楽しい」をまとい放題、食べ放題である。
ほわほわと温かく、満たされる。
たまにうっかり「苦しい」を食べてしまってもあまり気にならない。スパイスのようなものだ。食べた後で消化(昇華)すれば「楽しい」に反転させることもできる。

「楽しい」は生きるために必要だろうか…。そんな問いもあった。
そもそも霞なのだから必須ではないかもしれない。
なにもなくても生きていける。
そう感じながらも、近くに漂う「楽しい」をヒョイと掬い取る。温かい。
必要ではないけど、あるといい。そう感じる。

(ikue)