なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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熱に浮かされる:諦めるとは…

発熱して身体がしんどいと、思考が歪んで冷静でいられなくなる。
私は疲れている。
もうこれ以上動けない。
判断力がだんだんと鈍ってくる。
普段なら許容できることや、やり過ごせるようなことのハードルが急に上がる。
子ども達に辛くあたらずに済むように、学習や習い事のサポート、家事、明日の準備など、無理をしなければできないようなことは諦める。
こんな時は、よほど親しい人に対しても言葉を紡いで何かを伝えることさえ不安になるほど、繊細な精神状態に陥る。
そういう精神状態では情報をまともに受け取れなくなるため、情報から遠ざかって、自分でネットを遮断する。 
テレビは見ない。
新聞や本も読まない。
できれば誰にも会いたくないし、話したくない。
ただ、横になって一人で休んでいたい。
帰り着いた自宅の床に行き倒れる。
こういうことがたまにある。

私は、これ以上頑張れない自分を受け入れるしかなく、何かをすることを諦めて休む。
誰かに助けを求められるならば、助けを要請する。
子ども達に謝って、自分たちでできることだけでもしてもらう。
将来の自立にはいいか、と自分を納得させながら。
謝りながら、休むための時間を確保するために予定をキャンセルし、計画を立て直す

私にとって「肯定的に諦める」とはこういうことだ。

優先順位が入れ替わる瞬間。
頑張って失うもののリスクが、諦めて失うもののリスクを上回る時。
頑張って得られるメリットが、諦めて得られるメリットを下回る時。
今の私の場合、それは体力と時間が原因であることが多い。
子どもから感染症を移されることも日常茶飯事で、たとえ予防接種をし、家庭内感染をしないように努力をしても、避けられないことはある。そもそも予防接種で防げる感染症の方が少ないのだ。*1
免疫学的に考えれば、発熱した時にだるくなって動けなくなるのは、身体を回復させるために必要で当然のことだ。*2
無理をして身体を動かせば、普段以上にパフォーマンスがぐんと落ちるだけでなく、体調不良を長引かせ、場合によっては悪化して、頭がくらくらして意識まで朦朧としてくる。
ある程度冷静な判断が下せるうちに、時間的な制限のある中で、大量の「やらなければならないこと」に優先順位を付ける。しかし、そこに抵抗する自分がいる。
その中に、諦めなければならないことが出てくるからだ。

本当は諦めたくないけど諦めなければならない葛藤状態で、その諦めに必要なのは納得感だ。
それは自分の限界を知る瞬間。
助けや他力を得て何とかなるなら、諦めずに済むこともある。
そうして最後まで頑張ったとしても結果として何ともならない時、私は限界を感じて諦めるだろう。
結果がどうであれ、自分なりに精一杯対応したのだから、いっそ清々しい。そういう納得感だ。

自分をどう納得させるかが、諦めた時の感情を肯定的にするのか、それとも否定的に自責の念を生むのかを決める気がする。
そして、大局を見据えて何かを諦める時、何が本当に大事なのかに気付かされる。
“足るを知る“ことにさえなる。*3
これで充分、満足できる、と。
今、手にしているものに対して感謝する。

これが、現時点の私にとって前向きに諦めることだ。
みなさんはどうだろうか?
何かを諦める時、そのリスクと報酬をどう捉えているのだろうか?

(てんとうむし)