今年の中秋の名月、当地では 遮るものもなく、完全な形で見ることができた。
言葉も説明も要らず、疑う余地もなく完全な形。対象にただ惹きつけられ、その内にいる感覚。これは、私にとっての宗教体験であったかもしれない。
月が人類の移民先になるかもしれない未来、月を見て詠む歌はどんなものになっているのだろう。
人は神秘や恐怖、信仰の対象を理解できない間は敬うが、分析し手中に入れたと思うと、その座から引きずり下ろし、かつての恩も忘れてしまう。そして常に次の謎(完全なるもの)を追い続ける。
ただ、月を見るたび、数字の不思議に触れるたび、詩の韻を踏む音を聞くたび、謎は解かれる前こそが美しいのだと、囁く声が聞こえる気がしてならない。私の感じる美しいものたちは、謎を解かれたくないらしい。
(MK)