なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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ダーウィンの呪い

 ダーウィンの進化論と言えば、人口に膾炙している。ここで敢えて説明するまでもない。それでも、僕が何を企図しているか理解してもらう為にここに記す。また、それは完璧に網羅されたものではなく、本文の論旨に関わるところだけなのを首肯してもらいたい。

 あるキリンの祖先に、たまたま首の長いものが産まれた。他のキリンの祖先と比べて、より高い木の葉までも食べることが出来た。その為この形質を受け継いだ子孫は、他のキリンの祖先よりも、生き延びることが多かった。この繰り返しにより、結果としてキリンは首が長くなった。

 ここで確認しておきたいのは、自然自体に、キリンの首を長くしようという目的があったわけではないということ。突然変異と自然選択により、結果としてキリンの首が長くなったということ。繰り返しになるが、自然自体に目的など存在しない。純粋無垢な結果のみが用意されている。いつか哲カフェでも発言された方がいたが、目的というものは人間が捏造したものにほかならない。

 (「動物」や「AI」や「神」は目的を持たないのかどうか考えるのも面白いと思うが、ここでは人間のみが意志を持ち、目的を創造する存在だ、と仮定しておく)

 しかし(気付いた方もいると思うが)もし自由意志が幻想であるとするなら、そこから考えても、目的は錯覚となる。例えば、試験が近づく学生のケースを考える。『いい成績を取るという目的の為、遊んでいないで敢えて苦痛な勉強をするよう、意志の力で自分を律しよう。』このように思ったとする。

 だが、この『勉強をするよう、意志の力で自分を律しよう』というのは実は虚偽なのである。自由意志など無いのだから。そして、自由意志のないところに目的などを設定して何かをしよう(或いはやっぱり止めようか)と考えるというのはナンセンスである。『○○の為に△△しよう』の〈△△しよう〉という自由意志の部分が勘違いなのだから、あるのは『○○の為に』だけだ。ただ、この『○○の為に』は『△△しよう』と、いつもセットで使われる。係り結びのように。その結びの部分は使えないので〈係り〉の部分単独でも使えないのだ。つまり〈目的〉だけでは使えない。

 〈希望〉はあるかもしれないが、それは〈目的〉ではない。『勉強するかしないかは自分では一切決められないけど、いい成績だったらいいなあ』。これが〈希望〉である。だが、この希望でさえ自分の意志で思ったことではない。すべてが自分の意志でしたことではないのだから。

 そこで何故、すべてが自分の意志ではないのか?ダーウィンの言うように、或いは拡張して〈目的〉などこの自然にはないから。すべては〈結果〉だけがある。人間も自然の一部だ。そこに〈目的〉などない。あるのは〈結果〉だけ。或いは人間も物理法則に従っている。あるのはその〈結果〉だけ。いずれにせよ〈目的〉などない。見せかけのものはあったが。

 もう一度別の具体例を挙げるが、結婚の自由がない社会では、『誰々と結婚しよう!』と意志することは出来ない。あるのは親の決めた相手を配偶者とすることだけ。そこにその為の〈目的〉も持つことはない。〈希望〉はあったかもしれないが。

 空腹を満たすという〈目的〉の為、パンを食べよう、とする。実はこの〈目的〉も無いものなのだから、自然の為すままに僕らは動いてゆく。〈結果〉だけが〈何故か〉存在する。ダーウィンの呪いにまかせて。或いは物理法則のままに。いずれにせよ〈意志〉も無ければ〈目的〉も無い。勿論ダーウィンはこのようなことを主張してはいない。だから〈呪い〉なのである。すべてに〈目的〉は無いとすることからの帰結である。

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