なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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『シンドラーのリスト』を観て

先日、1993年公開の映画『シンドラーのリスト』をようやく観ました。もう三十年も経っていたとは。膨れ上がったウォッチリストに埋もれかけていたけれど、ふと目に留まったのはやはり今八月だから。
でも観られてよかった。観ておいてよかった。

観ていない人は、杉原千畝さんみたいな話でしょ、ユダヤ人を助けた話だよね、ぐらいに思うと思います。私もそうでした。
でもこの作品、シンドラーという人が単純な善人でないところが面白い。そもそもは金儲けが好きなビジネスマン。ナチス党員でもある。人件費の安いユダヤ人を利用して工場で鍋釜を作って大儲けする。お金が大好き、女も大好き。

でも彼がナチスのSSなどとは違うのは、自分の違和感に気づき見過ごさないこと。
国中を深い霧のように覆い尽くしていた価値観にとらわれず、自らの違和感に正直に行動し始めるところ。自分でも自分の行動がよくわからん、でもこうしたいんだよ!しょうがないだろ!みたいに見えるところ、俳優さん上手い、演出も上手い。
そして、冷酷無慈悲なSS将校の、妙に人間くさいところの描き方も上手い。ユダヤ人のメイドに執着する姿は、甘やかされて育ったけれど一番欲しいものが得られず駄々をこねるお金持ちの坊やのようで、やっていることは極悪非道なのに哀しみが漂っている…。
ふつうの時代なら、ただのイヤな奴程度だったかもしれない。

ふと思ったのは、シンドラーがなぜ『自分の違和感に気づける』人だったのかということ。
彼は根っからの善人ではなく、欲にまみれた普通の人。
普段から己の『欲』を隠すことなく感じ、自分に正直に生きてきた『人間らしい人』だからこそ、『違和感』にも気づけたのではないか、と。
これがもし道徳や教育的な刷り込みでできた価値観の中で、『ねばならない』に縛られて生きて来た優等生なら、逆に気づけなかったのでは…。(SS将校はこちらかな、と)

さて、
三時間強、映画に浸っていて最後に感じたのは「みんなかわいそう」という気持ち。
小学生みたいな感想だけど。ユダヤ人だけでなく、誰もがみんな…かわいそうとしか思えなかった。ただ、ただ、かわいそうでかわいそうで仕方がない…。

…現実に戻れば、隣家からは子どもたちの笑い声。今のところは平和な日本。
でも海を越えれば今も戦争をしている。

あの戦争では、600万人ものユダヤ人が犠牲になったそうです。気が遠くなる数字。
シンドラーのリスト』では、いろんな場面で人の名前が読み上げられます。
それは観る人に、600万人の人々の一人一人に名前と人生があった…と気づかせます。
映画のタイトルには、監督のそんな想いが込められているようにも感じました。

(ikue)