毎週、哲学カフェで色々な人と話をする機会を持つということは、価値観の違いに気が付くことの繰り返しである。
人と違う意見を言うと、「なぜそのように考えたのか」と説明を求められることがある。それに対し、上手に理由を示せる人もいるが、答えに窮する人もいる。理由が説明できないと「単なる思い付き」だとか、「思い込みに過ぎない」と一蹴されるかもしれない。説明できることが、そして論理的であることが求められる場面である。
しかし、本当にそうなのであろうか。それができない人は、意見に至る理由が無意識の領域にあるのではないか。そして無意識の世界では、説明が下手な人なりに価値観が構築されているはずである。
確かにしっかりとした筋道がわかると「なるほど」と思うが、論理的に説明できたとしても、さらに掘り下げていくとうまく説明できない、自分でも理由がよくわからないというところに行き着くだろう。
とどのつまり、両者の違いは言葉にする力の差だけかもしれないと感じることもある。
(寺)