先日の雑談タイムで出てきた「隻手の声」、私も好きな言葉で、以前他の場所でもお話したことがあります。
隻手の声は禅宗の公安の一つで、百隠が初学者を前に語った次の言葉から来ているとされています。
「隻手になんの声やある。隻手の声を拈提せよ」
(両手を打ち合わせると音がするが、片手にはどんな音があるのか)
声無き声を聴き、音無き音を聞く、人間の固定観念や思考を越えた絶対境地を示すともされていますが、そこに到達できなかったとしても、頭で色々考えていいのではと私は思っています。
片手でも音がするのではないか
そもそも「音がする」とはどういうことなのか
誰に聞こえればいいのか
etc.
哲学カフェで皆さんのお話を聞いている時もそういうことを考えてしまいます。
今この人両手を合わせた?
合わせたとしたらどの程度の強さ?
わざと片手にした?
etc.
絶対境地には到達できそうにありません。