1月に「湯たんぽ」という記事を書いて、その素晴らしさを布教したにも関わらず、うっかりくるぶしに低温火傷を負ってしまいました。油断…。
低温火傷、ナメてました~~~
弱火だとじっくり中まで火が通るように、ダメージが意外と大きいです。
痛いよぉ(/_;)
でもここでふと思いました。
あ、これって「時節因縁」なのでは。
最近教えてもらって読んでいた、道元の『正法眼蔵』の解説本にあったのです。
「時節因縁」とは、そのときそのときのあり方であり、ただ、これをしっかり生きよ、と言うもの。
全ての存在が「いま現在」であり「仏性」なのだから(悉有仏性)、苦しみや病もまた「仏性」の現れである…
ただ、その状態をしっかり生きよ、と。
それを読んだ時、単純に「その考え、いいな♪」と思いました。
もちろん私はまだ解説をちょっぴり読んだだけですから、解釈が間違っているかもしれません。
私は、「今、目の前に現れている全てを、ただしっかりあじわえ、それは仏なのだから」
と言われているように感じたのです。
「そか、仏か」
私のイメージでは『仏温泉』という温泉に、ぽちゃんと浸けられている感じです。
この世界=仏温泉。
その中で起きた痛みも、仏温泉の成分の一つに過ぎない。
そう思うと、くるぶしの痛みも、ちょっと愛しいものに思えてきました。
「痛いな~、いやだな~、早く治らないかな~」
と、めちゃくちゃ思ってはいるんですが・笑
この痛みは『仏温泉』に含まれる薬効成分…かもしれない。
だから、痛みに嘆いたり、なんとかしようとジタバタすることも、温泉に浸かっている醍醐味なのかと。
くるぶしに穴があいたのを見てゾワゾワしたり、いつもの姿勢で眠れなくて苦しんだり。
それらも醍醐味と思えば、たしかに。
だって、生きているからこそあじわえるのですから。
『仏温泉』は、超スーパー銭湯のようなもの。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」と書かれていても、次々といろいろなことが起こる。
でも激動の中でも、言われた通りゆっくり過ごすことも可能。
全ては仏だと、安心してそう感じられる心でさえいられたら。
その心を「悟り」というのかな。
「早よ治らんかなー」と頭の片隅では思いながら、そんなことを考えております。
(ikue)