なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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音楽で建てられた凱旋門:前編

何というインパクトと感動だろうか。無防備な状態で涙がとめどなく流れるのを止められず、言葉にならず、ただ感情が大きく揺さぶられるのを感じる。

私がいた場所はコンサートホールで、あと数時間で台風が当地に襲来し、一部の公共交通機関は計画運休する直前だというのに、「こども名曲コンサート」に聴き入っていた5歳以上の子ども達を含む聴衆はコンサート終了後アンコールの拍手を送り続け、オーケストラの指揮者は、舞台袖へ戻っては舞台へ引き返すことを繰り返していた。

いったいこれは何だろう? 強烈な情動から出発して、この感情を理解するのに、私は自分の感受性や感性について主観的な側面から考え、客観的な側面では脳科学、精神医学などでキーワードを調べてみることにした。折しも、9月の哲学チャットのテーマは「考える力とは」で、私は「言葉によって論理的に考えること以外にも、人は考えることができるのではないか」と思っていた。タイムリーな私の音楽体験をシェアしながら、非言語による思考について論考を進めたいと思う。

子ども名曲コンサートの概要

こども名曲コンサートの主催者である名古屋フィルハーモニー交響楽団のパンフレットには、簡単な曲紹介と数々の絵画の紹介が載っている。この「こども名曲コンサート」のコンセプトは「オーケストラが奏でる絵」:音楽を耳で聴き、目で見て、心の瞳で感じる旅を楽しむことである。集中力が短い子ども達のために選ばれたクラシック・コンサートでは、休憩をはさんだ後半の曲目は、ムソルグスキーラヴェル編]:組曲展覧会の絵』だった。19世紀のロシアの作曲家・モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)によるピアノ組曲展覧会の絵』は、フランスの作曲家・モーリス・ラヴェルによってオーケストラ版に編曲されている。
難しい曲紹介はほとんどなく、演奏の前に、指揮者が子ども向けに「こんなフレーズがある」と言っては、組曲(10曲)の中で中心となる一部の演奏をオーケストラが演奏してくれ、それが何を表現しているかの説明が少しだけある程度だった。

ムソルグスキー作曲「展覧会の絵

常々私は、音楽には1曲の中にそれぞれ物語があると思っていて、音楽を聴いて揺れ動く気持ちの変化から、その音楽の物語を想像(勝手な妄想?!)して楽しんでいる。しかし、1874年に作曲されたムソルグスキーの代表作『展覧会の絵』には、作曲された背景にそもそも物語があるのだ。
作曲された前の年に、画家や建築家として知られていた友人のヴィクトル・ガルトマンが、若くして亡くなってしまった。そこで、ムソルグスキーバラキレフ、キュイ、ボロディンリムスキー=コルサコフ:「力強い仲間たち(「ロシア5人組」):ロシアで自分たちの民族や地方の音楽を取り入れた作曲を目指す人たち」を支える音楽評論家スターソフの呼びかけで、ガルトマンの遺作展が開かれた。ムソルグスキーは、その展覧会に足を運び、心を打たれてしまう。10曲からなるこの組曲には、ムソルグスキーがガルトマンの展覧会で見た絵画のイメージが込められている。この組曲の最初の「プロムナード」は、曲と曲の間にも形を変えながら現れ、絵画と絵画の間を歩いている時のムソルグスキーの「心の動き」などが表現されている*1

パンフレットには、ガルトマンの展覧会に出品された作品のうち、ムソルグスキーが曲を作るもとになった絵画のみ(第5曲:卵の殻をつけたひなどりのバレエ、第6曲:ザムエル・ゴールデンベルグとシュムイレ(富めるユダヤ人と貧しいユダヤ人)、第8曲:カタコンブ(ローマの墓)、第9曲:鶏の足の上の小屋(ババ・ヤガー)、第10曲:キエフの大門)が掲載されている。後で調べてみると、他の曲ではガルトマンの展覧会以外の絵画からもインスピレーションを得て作曲したのではないかという説もある*2

私の主観的な音楽体験

私がコンサートを聴いていてとても驚かされたのは、音楽を聴いているだけで、パンフレットにはない絵画のイメージや風景も見えることだ。生のオーケストラのコンサートはインパクトが強く、CDやYouTubeSpotifyで音楽を聴くのとは全く違う音楽体験だ。耳から聴いた音の美しいハーモニーが頭から指先や足先にまで伝わって全身の神経が震えるのを感じる程で、オーケストラから響く音の波動がそのまま身体にぶつかって当たるような感覚さえある。目では舞台で楽器を演奏する大勢の音楽家達を見ているのに、時間の止まった絵画のイメージと音楽から伝わる作曲者・ムソルグスキーが表現したい感情が一体となって、映像(静止画でなく、動画)となり、心に浮かぶのだ。

この組曲そのものから、ムソルグスキーがどのような絵画を順番に観て立ち止まり、その絵画の印象はどんな感じか、次の絵画を見るまでどんな気持ちで歩いて移動し、次の絵画を見るのか、物語のように感じることができる。そして、最後の第10曲:キエフの大門の元になったガルトマンの絵画は、実はキエフに建設される凱旋門の設計図コンクールにガルトマンが応募し、優勝したもの。しかしどういう事情からか、現実には凱旋門は建設されなかった。そんなエピソードをパンフレットから知って演奏を聴いてしまったからなのか、第10曲のキエフの大門を聴いていると、ロシア正教の塔の鐘が今まさに鳴り、人々が完成された立派な凱旋門を祝福するかのように見上げる情景が浮かんでしまう。そして、その中には無念だっただろうガルトマンとムソルグスキーも立っていて、「君の絵画は素晴らしい。ほら、ちゃんと君の凱旋門はこんなに立派に建設されて、後世に残るのだよ」と凱旋門を前に二人で話しているかのようだ。ムソルグスキーのガルトマンに対する友情はとても美しく、組曲全体を締めくくる音楽そのものの美しさの相乗効果もあって、感動を喚起する。

(てんとうむし)

この記事は名古屋フィルハーモニー交響楽団の掲載許可を得ています。また、記事作成にあたり、いくつかのキーワードを元に資料を引用・参照しています。詳細が気になる方はリンク先や書籍を参考になさって下さい。

※後編に続く

*1:曲目解説:道下京子(音楽評論家)、ムソルグスキーラヴェル編]:組曲展覧会の絵』、名古屋フィルハーモニー交響楽団「第2回こども名曲コンサート」(2022年9月22日(月・祝)開催)パンフレットより

*2:ムソルグスキー組曲展覧会の絵」、ピティナ・ピアノ辞典 https://enc.piano.or.jp/musics/243