なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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『終止符のない人生』ーー多様性の多様化ーー

 先日図書館で『終止符のない人生』という本を借りて読みました。今、日本で最もチケットが取れないピアニストと言われている反田恭平さんの初エッセイ集です。幸運にも、ここまで有名になる前に生の演奏を聴く機会がありました(とは言え発売開始日の朝、会場のプレイガイドに並んでチケットを取りました。普段は出不精の私もこういう時は根性を出します)。弾き方は好みがわかれるところですが、ある音楽評論家に「ピアノという楽器であんな音が出るのかと驚いた」と言わしめた奥深い音質の持ち主です。

 このエッセイ集、白眉はやはりショパンコンクールの舞台裏を描いた部分です。クラシック音楽のコンクールはいくつかの課題曲のいずれかを選んで演奏する形式が多いのですが、ショパンコンクールの場合その選曲の幅が広く、一次、二次、三次と、参加者は多くの選択肢の中から一つのコンサートプログラムを編成するようにステージを作っていきます。本人のテクニックや表現力に適した曲であることはもちろん、過去のデータから審査員の傾向、定番から意外性狙いまで、様々な戦略の下選曲が行われます。コロナ下で行われた昨年のコンクールは一次予選からすべてYouTubeで配信されており、ずっと聴いていたので興味深く読むことができました。細かく書くと長くなるので省略しますが、入賞した各参加者の選曲も、審査の傾向も、以前と比べて多様化した印象があります。

 また、このようなコンクールで多様性と言えばかつては人種的な多様性を指すことが多かったのですがーー西側(この言葉、今の若い世代の人はピンとくるのでしょうか)出身者が初めて優勝した時に話題になり、アジア人の優勝者が出た時にまた話題になり、etc.を経てーー、今や国籍や人種の多様性は当たり前のことになり、話題になることはあまりありません。今回、YouTubeでは参加者のトークセッション等も配信されたので聞いていたのですが、ひと昔前のように幼少期からピアノだけに打ち込んできた参加者が少なかった(バックグラウンドが多様化した)ことも印象的でした。このエッセイの中でも触れられていますが、反田恭平さんも今現在演奏活動を続ける傍ら、会社経営者として、オーケストラの主催者として、さらには音楽学校設立を目指して多彩な活動を展開されています。

 優勝者が選択したピアノがファツィオリという新興メーカーのものであったことも一つの驚きでした(演奏者がステージごとにピアノを選択する方式で、ヤマハやカワイも公式ピアノとして用意されています)。ピアノという楽器一つとっても、演奏者だけでなく、最近はメーカーや調律師も注目されるようになりました。スポーツの大会でも周辺情報にスポットを当てた特集を目にすることが増え、人々の関心の持ち方が多様化したのも面白い現象だと思います。世界がワールドカップで盛り上がる中、サッカーのことがほとんどわからない私も、女性審判の話題やカタールの地下鉄の光景にはちょっと興味を惹かれます。

 哲学カフェの多様性は多様化しているのでしょうか。参加者層の多様性という段階に留まってはいないでしょうか。「多様性」という言葉が陳腐に感じられるようになった今、次のキーワードは何なのだろうと、そんなことを考えるのも楽しいです。

(福)