3月11日の哲学カフェのテーマは「哲学が当たり前になった社会」でした。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
はじめに進行役がこのスライドを表示し、参加者に「XXXXとYYYYについて考えてみようと呼びかけました。哲学が当たり前じゃなかった社会と、当たり前になった社会を比較することによって、哲学が果たす役割を考えていこうという試みです。
カフェで話題に上ったトピック
- XXXXに入る言葉
- 常識がある
- 多様性が認められない
- 対話しづらい
- 内省力がない
- 無知の知を知らない
- 生きづらい
- 伝説や慣行に縛られる
- YYYYに入る言葉
- 共通認識が得られる
- 多様性を認める
- 対話可能(他者&自己)
- 人と違うことが言える
- 萎縮せずに自分の意見が述べられる
- 対立を解消する取り組みが可能
- 個性が尊重される
- 生きやすい
- 本質を探究し続ける
そのほかにこんな意見もありました。
- 哲学が社会を良くするとは言えない。哲学はある種の道具
- 哲学という言葉が無くなり、わかりやすい言葉に変わっていると良い
進行役のコメント
考えたくない人がいることとと、考えたくない人を教育が変えられるかというのが気になりました。
当日参加された方もされなかった方も、コメントお待ちしています。