なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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哲学カフェで大事にしたいこと

「ズームバック x オチアイ」のプロデューサーである河瀬大作さんが、『過去を巨視して未来を考える』(落合陽一)の前書きで「ズームバック x オチアイを制作する上で守べき3つのルール」について紹介していました。本記事では、これを哲学カフェに適用できるかどうか考えていきます。ただし以下は私の解釈が入ってしまうので、興味のある方は本書を読んでみてください。Kindle Unlimitedに入っていれば無料で読めます。

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第一のルールは「難解さから逃げない」。テレビ番組は分かりやすさを優先する傾向が強いメディアで、難解な内容を上手く読み解くスキルが求められます。しかし河瀬さんは「コロナ禍という、私たちが経験したことのない今を読み解くためには、その(=複雑さから逃げない)覚悟が必要」と考えます。詳細について本書では解説されていませんが、わかりやすさを優先することによって落としてしまう要素のなかに、今を読み解く重要なキーが潜んでいると考えたのかもしれません。

これを哲学カフェに適用してみましょう。意見を述べる時に「わかりやすさ」を意識しすぎると、大事な要素がこぼれ落ちてしまうかもしれません(私がよく陥りがちな罠です)。参加者の意見は必ずしも整理されているわけではなく、聞く側は時に忍耐と集中力が求められます。しかし焦らずに最後まで聞き続けることで新しい視点が見つかることを、私は何度も経験しました。

第二のルールは「飛躍を厭わない」。河瀬さんは「コロナ禍という変化が激しい時代のなかで、ルールは毎日のようにアップデートされていく。そのなかで落合さんの視座もつねに動いています。だから制作にあたる私たちも柔軟にあろうとしました」と考え、「間違えることを恐れずに、大胆な仮説をたて、それを論証する」覚悟を決めたそうです。

哲学カフェで対話を続けていると、話が思わぬ方向に逸れてゆくことがあります。脱線を嫌い、進行役が本筋に戻そうとする哲学カフェもありますが、なごテツはあまりそういった関与はしません。一見飛躍しているように見えるが、なにか関連性が見つかりそうな気がする。そんなときは、敢えて道をそれて追っていくことさえあります。これは私個人の意見ですが、哲学カフェのおもしろさはそんなところにあるように感じます。

第三のルールは「ズームバック=俯瞰せよ」。河瀬さんの解説によると「半歩先の未来すら見通せないコロナ禍のなかで必要なことは、ある事柄とある事柄の関係性を見いだすことです」とのこと。「ズームバック x オチアイ」という番組では、ある事柄に対して落合さんが大胆な仮説をたて、過去のNHKアーカイブのなかから別の事柄を引き出して検証していました。現在と過去の事柄の関係性を見出すには、確かに俯瞰する視線が必要でしょう。

哲学カフェの場合、これは進行役が意識することなのかもしれません。なごテツではあらかじめテーマを決めていますが、場がどう動くかはやってみなければわかりません。参加者の意見によって展開が変わる場において、進行役は各参加者の意見を俯瞰し、それぞれの関係を読み取りながら進めていくスキルが求められるように思います。しかしこれは「言うに易く行うは難し」で、なかなかうまくいきません。自省をこめ、この言葉を自らに課しておきます。

ということで、この3つのルールは哲学カフェにも適用できるということがわかりました。せっかくここまで考えたので、ついでにそれぞれのルールを反対の意味の文章にして検討してみましょう。

  1. わかりやすさを心がける
  2. 着実に進めていく
  3. 集中する

なんということでしょう。こちらもよさげではありませんか。もしこの3つをポリシーとして掲げている哲学カフェがあれば、ぜひ参加してみたいと思うほど。結局、こういった言葉の有用性なんて解釈次第なのでしょうね。

ということで、この長い記事を最後まで読んでくださったあなたへ私からのリクエストです。コメント欄に「私が考える哲学カフェで必要な心構え」について書いてみませんか。そのコメントを読みながら、私ももう少し考えてみることにします。

(真)