なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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ChatGPTに哲学カフェのルールを訊いてみた

今話題のChatGPT、既にご利用になっている方も多いと思います。最近は繋がりにくかったり途中で落ちてしまうことも多いのですが、LINEでAIチャットくんとお友達になると比較的速く回答が得られることがあり、日常生活に浸透しつつある実感があります。

そのChatGPTに哲学カフェのルールについて訊いてみたところ、以下のような回答が得られました。

哲学カフェというイベントは、哲学に興味がある人たちが集まって自由に意見を交換する場です。特に正解があるわけではなく、異なる意見を出し合って議論することが目的です。ここでは一般的なルールをいくつかご紹介します。
1. 象徴的な表現の使用: 個人的な話題や哲学的に深いテーマなどを話し合う際には、抽象的で象徴的な表現がしばしば使用されます。言葉選びには余裕をもちましょう。
2. 他者を尊重する: あなたと異なる意見を持っている人がいても、相手を尊重し、否定的な表現や攻撃的な言葉を使わないよう心がけましょう。
3. 議論に目的を持たせる: 議論することそのものが目的ではありますが、話し合う際にある程度の目的意識を持つことが大切です。それぞれが自己の考えを明確にし、相手の意見を聞き、話し合いを通じて新たな気づきを得ることが目的です。
4. 公平な反論: 反論する際には、相手の発言内容に対して公平な反論をするようにしましょう。冗談や嘲笑いは言葉の選択には含めず、論議を深めるために有益な点がある場合に挙げるようにしましょう。
これらのルールに有効に従うことで、健全な話し合いの場を作ることができます。また、自己中心的な意見を述べる人や、取り乱してしまう人がいる場合には、主催者が立場を明確にし、場をコントロールすることができます。

冒頭に「あなたは哲学カフェのファシリテータです」等の文言を入れて回答者の立場を限定すると若干内容が変わってきます。英語で訊くと回答が変わる場合もあります。当然のことなのですが、AIが食べる情報は圧倒的に英語ベースのものが多いので、より充実した回答が得られる可能性が高くなります。AI翻訳によって精度の高い翻訳が可能になった今、チャットでは英語の質問力が試されるわけで、逆に英語を勉強し直さないとという気になります…。

ChatGPTと会話をしていると、問う力、対話によって掘り下げる力の重要性を実感します。従来のキーワード検索は平面で絞り込んでいくイメージであったのに対し、ここではより立体的に、最初の出力に対して多方向から切り込んでいくという感じでしょうか。いっそのこと学校教育でAI英語とかAI国語という科目を設ければいいのにと思いました。

また、このツールでは自分の目的を伝えて、そのためには何を質問したらよいのかを訊くこともできるので、叩き台を作る作業にも役立ちます。現状では、人間の思考を奪うツールではなく、思考を助けるツールであると言えます。ただ、AIが学習する速度と物量はハンパないので、従来のテクノロジーに対するのと同様のいたちごっこで済むかどうかはわかりません。人間が楽をしたがる傾向を学習して、質問が下手でもこちらの意を汲んでくれるようになるかもしれません。また、人間が制御していると思っていても、そう思わせて制御されてしまうかもしれません。「人を使うは使われる」とはよく言ったもので、人間は何かを使う時、使う側であるということに慢心せずに、使われている可能性を認識した上で、いたちごっこに持って行くくらいの気持ちでいなければいけないのでしょう。マルウェア等のコードも作成できてしまうので、ネガティブな面も色々あるのですが、取り敢えずこの面白いツールをみんなで使って、より面白いツールになればと思います。

最後に、ChatGPTに哲学カフェのブログ用の記事はどのような内容がいいのか聞いてみました。長いので抜き書きすると、

1. 哲学的な問いを投げかける
2. 話し合いのまとめ
3. 哲学的なビデオや文章の紹介
4. 哲学カフェの活動報告
ブログ記事においては、哲学について深く考えることが大切です。そして、参加者に役立つ内容になるように取り組むことが重要です。また、読者がイベントに参加しやすくなるような情報を掲載することも有効です。

ということです。この記事はこの基準を満たしているのでしょうか。もしかしてこの記事もAIによって生成されたもの? ではありません。「私」が書きました。でも結局は一般的な情報や過去の知識を元に作成しているので、AIのやっていることと変わらないのかもしれませんね。

(福)