なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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コメントと哲学カフェはアンマッチなのか?

なごテツブログの編集長、井上です。2021年12月にこのブログを公開して以来、多くの方に参加していただいています。ありがとうございます。記事を書いてくださる方も増えて、最近ではブログのコメント欄で哲学的な対話が始まることも増えてきました。これは発足時、私たち運営者が狙っていたことなので、大変嬉しく思っています。

しかし哲学カフェと、コメントやチャットサービス(以下、コメントと略)の意見交換には微妙な違いがあり、時に「難しいな」と感じることがありました。この記事では、その違いについて考えてみます。

1つ目は、参加している人の数です。哲学カフェの参加者は限られています。しかしコメントの場合、その発言を読む人の数は計り知れません。哲学カフェで話すのと同じ意識で言いたいことを言ってしまうと、思わぬところまで発言が拡散されてしまうリスクがあります。それにより、自分の言いたいことが自由に表現できなくなり、本来の目的である対話が妨げられてしまう可能性があります。

2つ目は、会話と文字という形式の違いです。哲学カフェでは、参加者が音声で意見を交換します(Zoomを使ったオンラインカフェではチャットも使えますが)。また、参加者がお互いの理解に齟齬がないように、質問をしたり、反対意見を述べたりすることによって、より深い理解を得るという流れがあります。

コメントの場合、参加者は文字情報で対話します。これにより、その場で相手に確認したり、質問したりすることが難しく、誤解が生じやすい状況が生まれます。もちろん、お互いが時間をかけて対話を深めていくことは不可能ではありませんが、リズムやスピードが損なわれます。タイムラグが生じるため、各々の意識が変わっていくこともあるでしょう。哲学対話をする上で、あまり望ましいことではないように思います。

3つ目は、身体性です。哲学カフェでは、相手の存在感を感じられます。しかしコメントでは相手の身体性が感じられず、存在感が薄まります。これにより、本来なら言えないようなことも言ってしまう可能性があります。

そういった事態を避けるには、誰も傷つけないような内容と言葉を慎重に選ぶ必要があります。しかし哲学カフェですから、全ての議論が無難な内容、言葉だけで進行するとは限りません。時には強い言葉を選び、意見をぶつけ合わなければならない場面も出てくるでしょう。コメントではそういった対話ができないため、結果的にあまりおもしろくない内容になってしまうかもしれません。

以上の理由から、私はコメントでの哲学対話には難しさがあると感じます。しかし、これはあくまで私の見解です。皆さんはどう考えますか? 

(真)