なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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間違っているのに自分が正しいと感じてしまうのはなぜなのか?

最近、ちょっとSNSが嫌になってきています。SNSでは、誰かが意見を投稿すると同調コメントが投稿され、賞賛される。そこで誰かが反対意見をいうと、あちこちから攻撃される。さらに、反対意見を擁護する人も出てきて、争いはどんどんエスカレートしていく……。この流れを見ているだけで、げんなりしてしまいます。

こういうとき、私は以前見た動画を思い出します。

間違っているのに自分が正しいと感じてしまうのはなぜなのか?

この動画の中で、スピーカーであるジュリア・ゲレフは「Soldier(戦士)」と「斥候(Scout)」のマインドセットについて解説しています。

いわく「戦士は、自分や仲間を守るために戦うのが任務。斥候は、偵察して状況を理解するのが任務。戦いにおいてはどちらも必要ですが、両者は感情が全く違う」とのこと。

この2つのマインドセットに対する理解を深めるため、ジュリアは19世紀フランスで起きた「ドレフュス」事件を紹介します。主人公の名はアルフレド・ドレフュス。フランス軍に在籍したユダヤ人将校でした。

ある日、破り捨てられたメモが見つかり、誰かがドイツに軍の機密を流しているということがわかります。誰がそのスパイなのかを調査し、「ドレフュスが怪しい」ということになりました。その理由は「彼がユダヤ人だから」。

は? なんで? なんでそんなことでスパイだと決めつけるの? ……21世紀の日本に住む私たちの感覚だと、さっぱり理解できませんよね。でも当時は、ユダヤ人を嫌うフランス人がとても多かった。そこで、唯一ユダヤ人だったドレフュスが怪しいということになったんだそうです。

実際、証拠はなにもありませんでした。機密を流したメモが発見されましたが、その筆跡はドレフュスのそれとは違いました。彼の周辺を徹底的に調べても、怪しい点はなにも発見されません。ですが、「だからドレフュスは違う」とはならない。それどころか「こんなに調べても証拠が出てこないなんて、ドレフュスはとてもずる賢いやつだ!」となってしまう。

そんなこんなで、かわいそうなドレフュスは有罪になり、官位も剥奪され、終身刑となりました。

しかし、1人の大佐が「ホントにそうなのかな?」と疑問を持ちました。ピカール大佐です。実は彼もユダヤ人が嫌い。だから、ドレフュスがスパイという結果は彼の信念にも合致しているし、心地よかった。それにも関わらず、彼は「ドレフュスは無罪かもしれない」と感じ、いろいろ調べ始めました。

すると、ドレフュスが捕まった後も情報はドイツに流れ続けていたし、その筆跡は、どうもある人物の筆跡ととてもよく似ている。そういった事実から、ピカール大佐はドレフュスの無罪を確信したのです。

そこで彼は、ドレフュスは無罪である可能性があると何度も直訴。軍には疎まれ、ときにはピカール大佐自身も投獄されたこともありました。しかし諦めずに訴え続け、10年後にようやくドレフュスの無罪が認められたのです。

あなたはこの話を聞いて「なんと愚かな!」と思ったのではないですか? 「自分はそんなことはしない」とね。ところがジュリアは、こんなことを言います。

「でもスポーツや政治では、こんな話、よく聞きますよね。あなただって、ひいきのチームが反則を取られたら”おかしい!”と憤慨するし、敵のチームだったら”正しい!”と喜んだりしませんか?」

さて、ここで「戦士のマインドセット」と「斥候のマインドセット」の話に戻ります。ドレフュスを有罪とした人は「戦士のマインドセット」、ピカール大佐は「斥候のマインドセット」で行動したということは、もうおわかりかと思います。

ではなぜ、この2者は違うマインドセットを持っていたのか? ジュリアは、「その答えは感情にある」と言います。

戦士が「防衛本能」や「部族意識」という感情で動くのに対し、斥候は「好奇心」という感情で動く。斥候は、予想に反するものに対して「反感を持つ」のではなく、「好奇心」を刺激され、もっと見てみたい、知りたいと思い始めるのだそうです。

つまり、戦士の感情は「勝ちたい」で、斥候の感情は「知りたい」。戦士は「自分の信念を守りたい」=「自分の考えは正しい」と考えるから、そうでない意見は排除したい。しかし斥候は「自分の考えは、間違っているのかもしれない。真実が知りたい」と思う。こんな違いがあるんですね。

最後に、ジュリアは聴衆に問いかけます。「そこで、みなさんに質問です。あなたが最も憧れるのは、信念を守ることなのでしょうか。それとも、世界を可能な限り明解に見通すことなのでしょうか」。……さあ、あなたはどちらを選びますか?

(真)