前回の哲カフェは『目的意識を持つ』だった。
『目的意識を持つ』はこう展開できる。すなわち『将来の為に今を我慢しろ! そのほうが賢いよ。だってリターンが多いんだから』。
もう少し説明すると、例えば手元に10万円があるとする。すぐに散財しないで、株にでも投資すれば3年後には15万円になってるかもしれない(もちろん減ってしまう可能性もあるが、一般的確率論的な話を考えると増えているだろう)。
或いは、いま手元の昆虫を犠牲にして針にかけ川に釣竿を下ろせば、サケが釣れるかもしれない。
このようにどうして世の中は、今を我慢して将来に備えた方が利益が大きくなるのだろうか?
世界経済は成長を続けているから? 資本主義の世の中だから?
自然界も植物は昆虫に蜜を与える代わりに受粉・種の拡散ということをゲットする。
「いや、私は目標を持ってそれを叶えることに喜びを見出すから、当てはまらないんじゃないか?」という方もおられよう。
しかし、本当に楽しんで事に当たっていたらわざわざ目標などセッティングしなくてもいいんじゃないか?
「書くのが楽しくてずっと毎日小説を執筆していた。気が付くと文藝賞を受賞していた」という人の方が「文藝賞を貰う為に小説を書くぞ!」という人よりもいい作品を遺すのではなかろうか。
孔子も『これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』と言っている。
とは言うものの自分の好きな事を職業にしたからと言って、毎日がずっと楽しい事ばかりじゃないというのはわかるだろう。
「これは今日中に仕上げなければならないから徹夜だな。頑張ろう!」という時、「今は疲れを休めそのまま毛布を被って眠りたい」、という欲望を押さえつけるだろう。「明日の明け方までに作品を完成させるため」。これは未来のため現在を我慢するという部類に入るのでは、と思うのだが。
「好きなことを続けること/それは「楽しい」だけじゃない」
YOASOBIも『群青』で歌ってる。
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