なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

● なごテツからのお知らせ ● ←ここをクリック!


年賀状とは

年賀状をやり取りする人は、今どれくらいいるのだろうか?

なごテツの忘年会で話題になったが、年始に受け取った年賀状から改めて考えるきっかけを貰った。同世代で「年賀状を今年限り(今までやりとしてきた全員に対して)辞めたい」という意見があったからだ。そこで私は何のために年賀状を書いてきたのかを振り返り、記事としたい。

両親が今の私の年齢の時は、仕事上の付き合いで年賀状を送る目的の方が大きかった。私は明らかにプライベートな繋がりのある相手に送っていて、ここが決定的に両親とは違っている。そもそも私は筆まめな方で、年賀状も書くが、年始の挨拶を目的としてSNS、E-Mail、喪中の人には年明けに寒中見舞いはがきも書く。相手に合わせて新年の挨拶を使い分けているのだ。では、どうしてそこまでして年賀状を送っているかを考えたとき、日常生活が忙しすぎるがゆえに、近況報告を兼ね、会えなくてもどうにか繋がりを維持したいと願っている自分に思い当たった。

私の年賀状との付き合いは子ども時代にから始まった。冬休みで年始に会えない友達だからこそ、新年の挨拶「今年もよろしくね!」を伝えたくて送っていた。あなたは私にとって大切な友達ですよ、というメッセージと共に。また、住所が変わることや、結婚して名前が変わることを知らせる連絡先の変更としても機能してきた。今はスマホSNSで簡単に連絡が取れる時代だが、以前は郵便しかなかったからだろう。スマホSNSが普及しても私が年賀状を送る理由は、日本の静かな年始にポストに届く年賀状はあくまで私信で、その距離感に合わせた個別メッセージを嬉しく思うからだ。同じように大切な人にはその絆がわかるように、自分らしいデザインで一言手書きする。職場での年賀状のやり取りは、いつの頃からか出さなくてもよくなり、プライベートな繋がりのある人に対してだけ年賀状を出すようになった。職場の人との新年の挨拶は、年明けに対面ですれば十分だからだ。

次に、SNS、E-Mail、喪中の人への寒中見舞いはがきと使い分けるのはなぜか。その理由を考えたとき、相手の事情に合わせて、年賀状代わりに新年の挨拶をする方法として選択していることに気づいた。

私にとって、SNSの繋がりは顔見知りではない、主に会ったこともない人との繋がりだ。SNSのフォロワーの方々に向けて一度発信するだけで済む。個別性はほとんどなく非常に効率的で楽だが、関係性によってはコメントを通じてお互いに個別メッセージをやりとりすることもある。

E-MAILは、基本的に海外在住者向け。事の発端は、郵便物が届かない海外駐在地に友達が赴任し、会社の総務が日本の住所に送られた友達宛の郵便物を個人的な年賀状も含めて駐在地に送ったことだった。つまり、年賀状に書かれた私信が当人以外の人に読まれる可能性がある。友達が、いつどこの国に駐在になるか、あるいは帰国できるかどうか定かでないため、送り先がわからないという問題もあった。そういった理由から、世界中で使えるE-MAILで送って欲しいという要望が友達からあった。私はPowerPointで年賀状の通信面をPCで毎年作成するが、E-MAIL組の人にはそれをPDF保存してファイル添付しE-MAILで近況報告する。

寒中見舞いは、学生時代に喪中で年賀状を送れない友達とのコミュニケーションとして教えて貰ったことが発端だ。私が喪中だった時は、寒中見舞いを送ってくれた数名の人の気遣いが身に染みた。今も喪中はがきを送ってくれた人には時機を見て寒中見舞いで相手を気遣うようにしている。

新年の挨拶の形が数種類あるものの、年賀状を送るのは、それが面倒臭いながらも人付き合いの一環だという認識が私にあるからだ。今はまだ子育てが大変な時期で、結婚して子どもが産まれてからなかなか人に会えず、県外移動も大変だ。アナログで書く年賀状は、多忙な生活ゆえに交流を続けることが難しい私にとって、誰かのことを考えながら一言書くだけでもゆっくり交流できる手段になる。実際に会うよりは時間もエネルギーもかからないが、繋がりやお互いの励みはしっかりと感じられる。年に1回の年賀状だけが唯一の交流で、いつか再会できる希望を抱きながらその繋がりを感じられる人もいる。コロナ禍では日常的に会っていた人とも分断されたが、年賀状で「今年こそ会いたいね!」とやり取りしていると、寂しいながらも希望を感じたものだった。

年賀状のような面倒臭いものにエネルギーを割くのがしんどい人もいるだろう。そういう人に年賀状のやり取りを無理強いはしたくない。会わないなら年賀状をやりとりする意味はなく、個人情報も出したくないから、効率的で安全な新年の挨拶に切り替える人もいるだろう。年末の忙しい時期に、PCで作成した年賀状を自宅のプリンターで印刷し、一言手書きメッセージを添えるだけだとしても、その一切を辞めてしまえばすごく楽だ。新年の挨拶、近況報告、連絡先変更であれば、時機に合わせて発信すればいいのだろう。

でも、私には年賀状でしか交流できないまでも大切に思う人達もいる。そういう人達とのささやかな年始の交流までも断ってしまうのは、何となく寂しい気がする。

(てんとうむし)