なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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さよならは別れの言葉じゃなくて……………

 『さよならは別れの言葉じゃなくて/再び会うまでの遠い約束……………』(セーラー服と機関銃薬師丸ひろ子)or(夢の途中/来生たかお

 昔こんな歌があった。『さよなら』という言葉の意味を考えさせるフレーズだ。どんな意味かと言うと、『もしかするともう二度と会うことは無いかも知れない。そのことをお互いが知っている。だからこの互いの最後の姿を胸に刻み付けて生きてゆくという決意。ここに至るまではいろいろあった。これが最良の別れのかたちだろうか? 分からない。でも時がこれ以上待ってはくれない。そうゆう運命なのだろう。だから…………』
 普通この別れの挨拶『さよなら』にここまでの意味は込めないが、あり得ない話でもない。それくらいだから別れの挨拶に『さよなら』は使いづらい。たいてい『じゃあね!』『またね!』とか『バイバイ!』あたりがよく使われるのではないか。
 サヨナラと聞くと『サヨナラホームラン』『サヨナラ勝ち』が連想されるが、それで勝敗が決してしまうのであり高校野球ではその相手とは二度と会わないかも知れないのだし、少なくとも試合はその時をもって終わりを迎えるわけで、適切な表現かと思う。
 まさか『じゃあねホームラン』とか『またね勝ち』とは絶対に言わないのはそういうわけだ。『バイバイホームラン』は『グッドバイホームラン』のことであり(?)翻訳すると『サヨナラ本塁打』になるのだから、聞いたことはないが、まだ許容範囲か。
 ここで別れの挨拶に『お疲れ様』は敢えて省いたが、何の考察も許さない白々しい言葉だと思うからだ。『お疲れ様ホームラン』。シュール以外の何物でもない。
 『さよなら』は『左様ならば』が転じたものだとはよく知られていることだが、『左様ならば』には何が、どんな言葉が続くのだったのだろう。『そのようであるのならば』とはどのようであるのならばと言っているのか。『このようであるならば』なら『この状況ではもうここが潮時なのだから、お別れするしかなさそうですね』と続くのに想像力は要らない。
 しかし、『左様』、『そのようである』とは現代語の感覚ではこの場の事では無くて一歩離れた場、現象をさしているように思われる。『それ』が指しているのは相手の状況のことだろうか。『私とあなたの状況は』ではなく『あなたの状況では』…………『お別れするしかなさそうですね』と続くのだろうか。相手を思いやったかたちになるのか。『これからどうなるのかはあなた様次第ですよ、そのあなた様は別れを望んでいらっしゃいますね。ではお別れしましょう』と敬語の世界になるのだろうか。
 そういえば昔、TV番組で最後に『サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ』と映画評論家:淀川正治が言っていたのを思い出す。本人はどういうつもりで言っていたのか、今となっては知る術はないが。最後の永遠の別れを前にして僕自身は何と言って締めくくるのか、『じゃあね!』あたりが言えるような親しい人が遺っていればいいが。
 『左様ならば、之にてご免つかまつる…………』

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