なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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哲学って何ですか? 第二弾


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先日の哲カフェ『哲学が当たり前になった社会』に私は参加できなかったのだが、i3さんの「哲学って何ですか?」のブログを読んで考えたことを書いてみたい。

今後、〝学問としての哲学”は、だんだん時代のスピードについていけなくなるのではないかという気がしている。その大きな役割は、専門性に特化した各学問分野や社会がバランスを崩した時に警鐘を鳴らしたり、世界を統合する視点を示すことにあるように思う。ただ、変化があまりに激しい時代には、メッセージを発した時に、もう社会が変化してしまっているように感じるのだ。多様化した社会をまとめて語ることの難しさも、理由のひとつだ。

今後は哲学者も、新聞記者なみの動体視力を要求されるように思う。本来じっくりと考えることで構築されるのだろう〝学問としての哲学”と、スピードが優先される現代は相性がよくないように思えてならない(個人的には、今のスピードを部分的に緩めることこそ、大事なように思うのだが)。そんな時代に「哲学」を絶やさないための最適解が、哲学を専門家任せにせず、一般の人が日常的行為のひとつとして、哲学対話をすることなのではないか。
 
その必要性を感じるもう一つの理由が、趣味や価値観が多様になるにつれ、日常生活では人どうしの会話や繋がりが表層的で浅くなっているように感じるためだ。人それぞれだから、意見は差し控えよう、といったふうに。国や民族、文化や宗教が違う人どうしが対話をしようと思ったら、究極のところ共通言語は、哲学対話しかないのではないかという気がしてきている。

i3さんは、「〈哲学〉とは〈真理〉に到達する営みではなく、〈自己〉に出会う過程なのではないか」と書いておられた。今の私は、「〈哲学〉とは〈真理〉に到達するために、〈自己〉と〈世界〉を行き来する過程」なのではないか、と思っている。

(MK)