なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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編集部よりお知らせ:9月21日「所有とは」特設ページ(コメント募集)

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9月21日の哲学カフェのテーマは「所有とは」。聖心女子大学特別研究員で文学博士である押見まりさんをお招きしてお話をうかがったあと、質疑応答や議論を行いました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

researchmap.jp

案内文

タイトル:「ジャン・ヴァールとレヴィナスの哲学――〈存在と所有〉から〈人間と倫理〉へ」
案内文: 2500年以上の歴史を持つ西洋哲学を「所有の哲学」と呼び、その暴力性を批判したエマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas, 1906-1995)。彼は第二次世界大戦での迫害経験から、「他者論」と「倫理」の思想を練り上げました。そんなレヴィナスが師として生涯慕っていたのが、知られざる哲学者ジャン・ヴァール(Jean Wahl,1888-1974)です。ヴァールもまた、それまでの哲学のあり方に疑問を抱き、新たな哲学を構築しようとしていました。西洋哲学はなぜ「所有の哲学」と批判されたのか?「所有の哲学」に代わる新たな哲学とは?〈所有〉をキーワードに、ジャン・ヴァールとエマニュエル・レヴィナスの思想をご紹介します。

押見さんの論文

・「ジャン・ヴァールの思想における「実存」と「超越」」(『聖心女子大学大学院論集』42巻2号、聖心女子大学、2020年)

・「ジャン・ヴァールの思想と実存の哲学──循環する超越と内在」(『哲学』73号、日本哲学会、2022年) 他

押見さんのお話のまとめ

・西洋哲学は、人間を「実在性のない貧しい者」として捉え、自分の外側に実在を求めてきた
・西洋哲学は、「存在(ウーシア)の学」であり、「所有(ウーシア)の学」だった
・ヴァ-ルとレヴィナスは、西洋哲学に抵抗し、人間を「実在的な豊かな者」と認めた
・ヴァ-ルの哲学は、一人一人の経験の探求を目指す哲学
レヴィナスの哲学は、所有の哲学を問いただす「倫理」

ブレイクアウトルームのまとめ

・所有は認識によって決まるのか?
・所有が損なわれるとはどういうことか
・所有感と所有の関係
・現代における所有の反対はシェア?
・所有と支配の関係
・西洋哲学と東洋哲学の違い
・契約や特許と所有の関係
・足りないから求めるということが、所有という概念?
・所有というのは、もの(対象物)の話ではなく他者への態度の問題では?
・共存は、自分は満ちていて、その上で他者を求める態度? でも何が満ちているのかはよく分からない。
・ヴァールやレヴィナスが批判するほど、西洋哲学は100%所有の哲学なのだろうか?
・他者否定と他者との共存をコントロールしようとしたのが哲学なのでは?
・信仰・宗教が共存を担えない時代において、哲学の担う役割とは?
・ヴァールやレヴィナスは所有を否定しようとして否定しきれていないのでは?
・個にこそ目を向けよというが、その個々の生にも「私の~」という所有の概念は絡んでくる
・存在と所有というのは同じ問題の2つの側面なのではないか?
・普遍的超越よりも個が重要だというのは、超越と個の二元論が前提となっている気がするが、その二元論を脱却する道筋が東洋思想にはある
・思うがままにならない他者というのは、西洋においては革命的かも知れないが、東洋ではポピュラーで当たり前の発想
・東洋哲学の"一切皆苦"や"足るを知る"という考え方と、レヴィナスの思想は何が違うのか?
レヴィナスの"他者"=何もかもが完全に違う他者、人には同じ部分もあるし違う部分もある、というのが普通だと思うが、そういう考えではない
・「みんな違ってみんないい」ではなく、「みんな違っていて、どうしようもないじゃないか」がレヴィナスの考え?
 

当日参加された方もされなかった方も、コメントお待ちしています。