なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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「ブレードランナー2049」と「人間って何?」

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哲学カフェと言えば、「ロボット」ですね。映画「ブレードランナー2049」に出てくる人造人間「レプリカント」も大雑把に言えばロボットです(以下映画ネタバレご了承下さい)。

 

近未来の、"人間とレプリカントの共存する世界"を通して、この映画は「人間であるとは、どういうことか?」と問いかけてきます。他にも「長すぎないか?(163分)」とか、「ゆっくりすぎないか?(1.5倍速で見ても自然)」とかとも問いかけてきます。が、最初の問いを2人の哲学者にこじつけて考えてみました。

 

1人目はサルトル。彼の著書「実存主義とは何か」では、「実存は本質に先立つ」というキーフレーズが提示されています。

 

レプリカントは、ナイフなどの道具と同じ様に、人間の役に立つために造られています。そのため、存在する前に目的が定まっている、言い換えれば本質が先に決まっています。しかし人間の場合は、目的・本質の決まらないままに存在し始めてしまいます。

 

サルトルは、「人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、その後で定義されるものだ……」と表現しています。この映画の主人公「K」は、レプリカントでありながら、レプリカントの本質を逸脱した実際の行動・実存によって、徐々に人間と違わない存在感を持っていった印象でした。

 

2人目は大森荘蔵。彼のエッセー「ロボットの申し分」は、人間に対するロボットからの異議申し立てです。そこでロボットは、人々がロボットには「心」がないと決めてかかるのに、なぜ人間対人間の場合には、相手の「心」の存在を疑わないのかと問いかけます。 そして、人々は「他人の心」を「信じ」ているのではなく、「創っている」のだと述べます。人間同士はお互いに心を「吹き込む」態度をとっているのです。

 

これは、生物・無生物を問わず様々な物に「魂」や「心」がやどっているとする考え方、アニミズムなのだとロボットは断定します。現代の人間のアニミズムは限定的に人間だけを対象にしています。ロボットの申し分は、「私もあなた方同士の間のアニミズムの中に入れて戴きたい」と結ばれています。

 

この映画の前半では、レプリカントに見えたKが、ラストシーンでは人間に見えてきたのも、思わず彼に心を吹き込んでしまったからかな、と思いました(ライアン・ゴズリングがハマっていたからでもありますが)。

 

映画も哲学も勝手な妄想をめぐらせるのが楽しみの一つです。

(草)