なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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科学の本当の姿⁈

B「……また、科学はある意味絶対に間違えない。」

A「どういうこと?現実と比べてみて間違った仮説は廃止しなければならないんじゃないの?」

B「いや、科学は自然を理解する『ひとつの』態度だ。だから〈すべての物には万有引力がはたらく〉という科学の言説に反するような事実が見つかったら、その言説に反する事実は「実はこれこれしかじかの理由で一見万有引力が、はたらいていないかの様にみえる、特別な事実だった」と説明する。万有引力は、やはり働いているんだけれども、それを打ち消すかのような見せかけの力が逆向きに特別に働いているのだ、と説明する。

仮にその説明を『偽りの嘘』と呼ぼう。するとその『偽りの嘘』理論が存在することから、他の物理法則に反するような事実が演繹されないように、さらに『嘘を嘘』(理論)で塗りたくる。そうして、そこから更に都合の悪い事実が観測されたら、更に『嘘の嘘の嘘』(理論)で説明し最初の〈すべての物には万有引力がはたらく〉という科学の言説の延命を図る。都合が悪くなったら更に『偽りの嘘』=〈確かに理屈上はあっても矛盾はしない理論〉=〈100%嘘とは言い切ることは不可能な言説〉を作り出して説明をして、絶対に最初の〈すべての物には万有引力がはたらく〉という理論を廃棄処分にはさせない。その結果、最初のシンプルな〈万有引力の法則〉からは、似ても似つかない複雑な〈新・万有引力の法則〉が産み出されることとなるかもしれない。

しかし、複雑だからそれをもって誤謬だと断言することは、不可能なことだ。(オッカムの剃刀は合理的に厳密に証明された事実ではない。)こうして何があってもいつまでも〈万有引力の法則〉はマイナーチェンジを無限に繰り返し、無謬となる。それはもう信仰の対象となっている。

つまり、信じられている(一部の科学者、主に提唱者に)というやつだ。こうなった時、科学は宗教と一線を画するとは言えなくなる。つまり〈宗教は信じる〉だが〈科学は疑う〉のだとは。勿論ここで出した例は超極端で仮の例だった。しかし、いわゆる科学は同じ人類の方法論である以上、このケースとは程度問題だ。」

A「科学は宗教とはまったく違うんだ!」

B「と、君は信じてるんだね。」

B「では次に挙げることに、共通することは? プトレマイオスガリレオニュートン、ベルヌーイ、ドルトン、メンデル、ミリカン」

A「科学者……、それもいずれもビッグネームである……」

B「うん。ただそれだけではない。自分が行わなかった天文観測を行ったと主張した者、実験結果を誇張した者、でっちあげの要素を導入し自説の理論の予言能力を高めようとした者、自分の息子が発見した法則を剽窃した者、今日では再現不可能な事実を報告した者、整い過ぎて真実とは思えない統計結果を公表した者、都合の悪い結果は除外して論文を公表した者、たちでもある。『自分の主張する法則・理論は正しいのだから、それに反する観測結果や実験結果は無かった事にする』とか『自説を補強する実験結果などの架空の事実を創作する』とかをした者、と言い換えてもいい。

無論彼らはビッグネームであるだけの業績は存在した。しかし、それとは別に上述のことは科学の精神に、科学の原理に反することだと結論付けずにはいられないだろう。そこには僕らが信ずるような『〈宗教は信じる〉だが〈科学は疑う〉』とは言えない実態がある。

しかし、これらは最初に述べた『偽りの嘘』理論とはまったくの別物であることに注意してほしい。『偽りの嘘』理論は、おおもとの理論廃棄を回避する為の〈嘘〉とは言えない〈科学の方法〉だったが、ここで述べた者は明らかな〈嘘〉をついていたのだから。科学の方法、〈科学は疑う〉への背信の行為と言えるだろう。」

A「これが科学者の本当?」

B「かどうかは、受け取る人次第だが、このような事実が明るみに出た、ということだ。」

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