なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

● なごテツからのお知らせ ● ←ここをクリック!


契約は呪術である(『秋の盛りに』へのオマージュ)

「未来を予知できたなら」と人は願う。だが古代では、人は未来を創造していた。どういうことなのか。暦である。

いつ頃から、この暑さを感じなくなり、秋の気配を感じるようになるのか。「彼岸」である。また、日が短くなるのはいつからか。「立秋」以降だ。最も昼が短くなるのは。

冬至」になるだろう。

「いや、それは自然現象を観測し、1年に起こることを配置したもの。暦。それは、どちらかというと予知ではないのか」と思うだろうか。
いや、それは人間が自然を統べる力を持った、ということなのだ。
古代アステカの人々は、太陽が沈んだ後、再び地上に現れるためには、人間の生き血が必要だと考え、毎日神殿には生贄の心臓が捧げられた。この操作によって太陽は毎朝、姿を見せてくれる、という訳だ。

「いーや、それは迷信と蛮行の風習であって、現実の太陽に人間の力は何の影響も及ぼさなかった筈だ」。そう考えるだろうか。

しかし、古代の人々にとっては、自分たちの力で毎朝、太陽を昇らせたのが現実だった。これはもはや予知のレベルではない。未来を創出したと言っておかしくはない。
この呪術の延長線上には存在する。古代より権力者は暦を公示してきた。彼らの予知能力を誇示しているのではない。彼らの未来創造力をアピールしているのだ。だから日照りが続く、とか雨が降りやまないのは、権力者の力不足として非難される。当然だろう。

それでもこのようにして、自然の未来を手中にした人間は、もっと未来をコントロールしようと願った。自然だけでなく、人間界に起きることを確定したかった。それが契約だ。契約が人間間の未来を予知するのでは無く、創出していくのだ。『Aは11月1日から12月31日までBのところで働くものとする』、という契約は未来を縛るというだけではなく、未来を現実化する力になるのだ。勿論、不測の事態やAの気持ちが変わるかもしれない。それは人間の力不足だったと認識されるべきだ。
だが、基本的に契約は履行しなければ、ペナルティが与えられる。そのようにして契約という呪術の力を保とうとする。生贄が必要ならば、それを見つけることも厭わない。これが刑法の役割になる。

話しは少し戻るが、ここで述べられている暦観は不自然だという異議申し立てはあるだろう。本人にはその意図はないかも知れないが、寺山修司の詩で『わたしのイソップ』に次のような一節がある。

門番を雇ってしまったので
門を作ることにした

一生はすべてあべこべで
(中略)

海水パンツを買ったから
夏が突然やってくる

どこかルネ・マグリットの世界を思わせるような詩だ。そして、上述の人間の呪術を批判しているようにも読めるのだ。わたしには。

(i3)