なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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感情に従えば良いのか?理性に服すれば問題はないのか?

先日のカフェ『自分のミス、受け入れられますか?』はファシリテータの意図した《自分の》と言うところが、ポイントだったかもしれない。なかなか自分のミスを具体的に言うのは難しく、結果他人のミスを週刊誌を読むように興味本位で聞くには不充分だった。

 

しかしそんな下衆な心でカフェに臨んだのは僕だけだったかもしれない。他のメンバーから僕が全く考えていなかった視点を与えられた。

 

「ミス(失敗)は誰の責任かを追及するよりは、再発を防止することに注力するべき」というものだった。言い換えると、懲罰感情に流されるよりも理性に基づいて原因究明すべし、ということになろうか。

 

元来人間の感情というのは、それに基づいた行動を次に起こすのを強化する為、進化の過程で獲得してきたものだろう。《怒り》はすぐに戦闘態勢をとるように、《悲しみ》は次にどうしたら避けられるのか実践する為に、《喜び》は続いて同じ状態を繰り返すことができるように(自分の)脳が(自分の)脳に命令しているという事だ。

 

そして、これらの感情は、人類の生存競争に寄与してきた。であるならば、他人のミス(失敗)に対して湧き起こる「懲罰感情」がその犯人を追及するのは自然なこと、理にかなったことではないのか。暫らくはこんな考えでいたのを告白しよう。

 

だが、ヒトに備わった〈自然〉に従属していれば万事問題ないのか。

 

たとえば人は栄養のあるものを美味しいと感じ、昔から進んで摂取するようになっていた。ところがジャンクフードは確かに美味しいとは感じるが、現在は成人病にならないように過度の摂取を控える向きがある。おいしさは感情なのかどうか分からないが、感情と同じく人間の〈自然〉である。またこの社会で気に食わない奴を、怒りに任せ殴っていては自身の破滅になってしまうので、自制する。怖いからといって医者から逃げてばかりいては生命の危機である。

 

人類が誕生したころと比べ、感情を抑制して生きていかなければならないケースは増大した。だが、そうやって理性に従って生きてゆくのは、結局は後の自分の感情の安寧を約束してくれるからなのである。だから目先の感情に囚われてはいけない、というときがあるのは分かる。

 

しかし他人のミス(失敗)に対して感情的になるのは許されないことなのか。必ず再発防止が確約されれば、その方が良いのだろうか。

 

例えば医療過誤により自分の子供を亡くした親の無念。ここで感情的にならずにミスをした医療従事者を罰せずに、二度とこのような躓きがなされない世の中になった方が、この親となんの関係もない我々社会の人間にとっては良い筈だ。社会にとってこの子供は「生贄」だったのだ。

 

けれどもこの親にとっては大切な子供を亡くした口惜しさは、この親がその後医療のお世話になった時、また同じようなミスで自分も殺されるかもしれないと思う恐怖を遥かに上回るだろう。であれば再発防止などこの親にとっては、何の意味もない。この親の執念を思いとどまらせる唯一の原理は、『我々は皆、罪びとなのである』ということだけだ。

 

人を裁くことのできる者は、自分は一切の罪を犯したことのない、そしてこれからも神のごとく罪に手を染めることがないと言い切れる存在だけだ。

 

ただ、「自分はどうなっても構わない、自分の過去に犯した罪、或いは将来に犯すであろう罪のせいで極刑になってしまっても、甘受する」という構えをこの親が見せた時、最後の原理は脆くも虚しく崩れ去る。

 

とは言え「仇討ち」を認めてしまえば、憎しみの連鎖は果てしなく続き、不安定な社会となること必定。その親にパンドラの箱を開けてしまう気があるのかどうか、ふつうは思いとどまる。では「ふつう」でなかったら?カオスの世界がその親の望みなのか、「恐らくそんなことはない」と信じるしかないのだし、そして我々の現代社会はそう信じて来た。換言すれば、そう高を括って来た、可哀そうだがあなたのお子さんは生贄だったのだ、と。

 

厳罰化がすべてを上手くいくようにしてくれるわけでもないし、人間であれば誰でもミスをする。一度でもミスを犯した者は自身の死をもって償わなければならないのなら、ほとんどの人は天寿など全うできよう筈もない。どんな人間でも人の子である、親がある。それは重々理解していても、件の親の喪失感は何か仄暗いものを求めてしまう。

 

現状が考えうる限り最良の社会システムなのだろうか。いや、より良い社会はまだ考えられる筈だ。ただそれが何なのか、誰にも分からない。

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