なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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謝罪は屈辱的な事なのか?

 「謝ることはない、金で済む話だ」このセリフに聞き覚えがある人は、筆者と同じ時代に青春を過ごしていたかも知れない。『本気』と書いて『マジ』と読む、週刊少年チャンピオンに連載されていた極道漫画の話だ。
 謝罪というのは自分の非を認めること。だからお詫びに金銭などを代価として支払うことになる。それなのに「謝ることはない、金で済む話だ」とは何か変ではないか。
 相手とすれば、〈名を捨て実を取る〉のだから不服は無いのでは、と考えてしまうのだが、どうだろう。それでも中には「お金などが欲しいのではない。心からのお詫びの言葉が聞きたいのだ」という人もいるかも知れない。「補償は要らないから、兎に角謝れ」という人の心理はどのようなものか。
 「公衆の面前で謝罪するという辱めを受けろ」、という事なのか。他の動物と違い、人間は超高度な社会的動物である。皆の前で恥をかかされるという〈メンツ〉が潰れることに耐えられず、殺人まで犯してしまう程の生き物だ。だから、それほどの思いを詫びる相手がするのであれば、お金など物の数ではないという事なのだろう。
 謝するというのは、密室で行われては意味がない。できるだけ大勢の人に知らしめる形をとらねば、申し訳を受ける側は納得しない。コンピュータシステムのブロックチェーンを連想させる。私が皆に知らしめるだけでなく、皆を構成する構成員同士で醜態を晒した人の噂をすることで、トークンとして皆にその事実が共有される。陳謝した側は、「あの人もこの人もどの人も、私の事を無様な奴だと思っているんだ」という自己で作り出した幻影に苦しむことになる。
 であるならば、謝るということは確かに不名誉な事実に他ならない。それでもまだ、どうして詫びることが恥なのか分からないという人がいるかも知れない。私はあなたにマウントされましたという事実が、世間一般に広められるとしたら、その〈私〉は恐らく序列最下位におかれる身分に転落したという事と同じだろう。これは恐怖だ。
 ただ、「私に非があるのは認めます。だから、もうこれ以上私を責めないで下さい」という事は、その場を何とか凌ぎたいカッコ悪いが有効な手段だろう。野生の犬でいえば最も脆弱な腹の部分を見せて、相手の攻撃本能を自分から逸らすリアクションだ。それなのに人間はその腹に嚙みついて攻撃の手を緩めない場合がある。

部下「すいません」
上司「僕は君に謝って欲しいなんて言ってない。君がやるべきことをやってくれと言っているんだ」
部下「すいません」
上司「だから、誰が謝れと言っている? なんで君はそうなんだ! 分かってるのか」

 部下はこの場を何とかやり過ごしたい。上司はそれを許さない。それが、部下の為、会社の為と信じ疑わない。部下は謝る以外に術はない。

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