なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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○○主義というもの

ある人が○○主義者といわれる時、それは人が名付ける場合と、自らが名乗る場合がある。前者は他者にお任せするよりないが、後者は自身が○○主義を世の中に展開したい意志があることの表明といえる。

また、他者に共有してもらう必要のない、一人だけ○○主義(○○と名付ける必要もない?)もある。周囲への表明は不要だが、他者とその話題になった際に、私は○○主義的に生きてます、と世間話の延長のように語られることはあるだろう。それは、他者に○○主義を広めたいのではなく、○○的要素を持つ自分という人間を理解してもらうため、表われたものだと思う。

個人的見解だが、一生貫くような○○主義は、そうそう持ちうるものではないと思っている。たいていの主義主張は何らかの条件下で生まれるもので、それは「絶対」に正しいというよりは、ある時間と場所では必要になる場合があるという代物なのではないか。中には何百年同じ名前で呼ばれる○○主義もあるが、いつかは過去のものになる可能性もある。また何百年後かに復活する○○主義もあるだろう。

時間と場所によって、流行のように人の求めるものが○○主義となって、魅力的に立ち現れるのではないか。今絶対に思える○○主義も、別の条件下では絶対でなくなる可能性がある。自分を○○主義者と表明し、それと自分の人生を紐付けてしまうと、○○主義運動の役目が終わった時に、その紐がうまく解けなくなりそう。それが個人にマイナスに働くように感じている。

人はいつでも○○主義を降りていいと私は思っている。運動として展開してきた人には、それなりの店仕舞の手続きも必要かもしれないが。つぎに新たな○○主義を探してもいいし、今度は人に語らなくてもいい。個人の人生のほうが、○○主義に優先すると私は思うのだが、いかがだろう。

(MK)