なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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贅沢な休日

いつもより朝ゆっくり起きたら、もう8時半を回っていた。身支度を整えて、近所にあるお洒落なCaféへ歩いて向かう。モーニングに行くという習慣が私にはなかったので、実は初めての経験にワクワクして家を出た。日頃の運動不足とコップ1杯の水以外に何も摂らずいきなり散歩したものだから、Caféへ到着した時は、恐らく低血糖にもなってふらふらだった。こういうことはやってみて初めてわかるものだ。
モーニングには、伊良湖のイラコファームの茹で卵を丁寧に刻みドーム状に形作られた卵サラダ、四つ切の厚さに切られたヘルシーなゴマパンのバター・トーストが半分、スタッフが毎日ケフィア菌を牛乳に入れたヨーグルトに手作りのジャムが添えてある。そして、お店のオリジナルブレンドコーヒーが目の前に運ばれてきた。普段私が食べる和食の朝食に比べるとあまりに素朴で、量も少なめだった。店内に流れる洋楽を聴きながら、コーヒーのほのかな苦みを味わうと、窓際の席にダイレクトに差し込む朝の陽光と、開け放たれた大きな扉のような窓から吹き込む穏やかな風を爽やかに感じる。そのCaféは川の散歩道沿いにあり、沿道に植えられている桜並木にやってくる鳥の声が聞こえる。平和な時の流れがそこにはあった。
常連さんと思しき高齢の女性グループが朝の散歩のついでに店内に入ってくると、「○○さんは、今日は調子が悪くて来られなくなったのよ」とお店のコーヒー・チケットを店員さんに人数分を手渡していた。店内のテーブルを3つほど寄せ、そのグループのメンバーが次々に注文をすると、ほどなくして笑い声とともに和やかな雰囲気の会話が始まった。

一人、モーニングをゆっくり味わっていると、感動的に美味しい。
朝の分団登校の集合時刻を気にしながら、食事のマナーを言葉で子ども達に伝えつつも、自分は朝食を子ども達よりも早く食べ、子ども達の身支度のサポートをして玄関から送り出すまでの自宅での慌ただしい朝食時間とは全く違う。
起きてすぐに朝の光の中を散歩するという運動が効いて、空腹感が食事の美味しさを引き立てるスパイスにさえなっている。
自宅の庭から聞こえる鳥の鳴く声など気にしたことすらないのに、ここでは店内で流れる音楽と調和した効果音のようにさえ聴こえるくらいのゆとりがあり、そこに美しい瞬間を感じるのだ。
提供された時、「たったこれだけなの?」とさえ感じられたモーニングは、時間に追われずに一口ずつ味わって食べ終えると、不思議とそれだけで充分に満たされていた。

そんなゆったりとした時間の流れの中で、お代わりコーヒーを飲みながら、私は改めて思った。

「利他と自利はセットなのではないか」

利他というのは思いやりで、他者を思いやるのに自分の犠牲を前提にする必要はないということだ。自己犠牲は一見すると美しく崇高な行為に見えるのだけど、他者を生かすと同時に自分も生かすことが大切だと思う。
自利というのは、例えば子育てで一時的に後回しになる自分自身のケアを取り戻すことに似ている。そして、自分のためだけの時間や、自由に好きなことを気ままにできる時間を日常の中に時々作ることなのかもしれない。家族のために自分が何かできるのは大きな喜びだけど、エネルギー切れでは長くは続かないからだ。それに、相手のために自分がボロボロになる姿を見て、その相手は果たして喜ぶだろうか? 自分を大切に扱うことが、結局は誰かを大切にできるというのは、ここにあるのではないか。このような時間は、自分へのご褒美というより、他者のために何かをすることや思いやるためにも必要不可欠な、定期的なメンテナンスや充電といったところだろう。

そんな充電が必要な時、「自分を幸せにしているだろうか?」と自身に問いかけてみるといいかもしれない。
どこにいて、誰といて、何をすれば、ワクワクするのだろう?
どういう状態になれば、静かに「幸せだなぁ」と感じるのだろう?
「幸せを感じる瞬間」をリストにして、やれそうなところから取り掛かってみようと思った。
私に贅沢な休日の時間を捻出するためにも、早朝から子ども達を連れ出し、一緒に子ども達との時間を楽しむ夫と夫の親族に感謝し、私はその日の午後、本当に久しぶりになごテツに参加した。

(てんとうむし)