なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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『ほしいものが、ほしいわ。』より『モノより思い出。』へ

『ほしいものが、ほしいわ。』糸井重里西武百貨店、1988のコピー。

 このコピーは、その解釈をめぐって社会学が好んで取り上げて来たという由来もあって超有名なもの。意味はいくつにも採れるものらしいが、ちょっとググると、

I want to buy what I want truly.の意で紹介しているものが多く見受けられる。

 僕は、この頃がいわゆるバブル景気であったことを勘案して、次のような解釈が一番フィットするのでは?と思うのだが。

I want to desire what I want to buy. Because I have had all things enough.

 このコピーは『モノよりコト』時代への先取りだ、とする人も多いかもしれない。しかし、お金を使って、始めて何かができるのだ、という資本主義万歳思想を体現したものとしてしか評価できない。(随分偉そうな書き方だが)

 と言うか、子ども時代、お小遣いを手に握りしめ、お店に向かう高揚感を100%肯定したものとして判断できる。

 確かに財布にいっぱいのお金をもって、好きなショップに行くのは、現在の社会システムであれば楽しいことだ。別に資本主義を廃して社会主義にするべきだ、と主張したいわけでもない。ただ、このコピーがそんなに画期的なものなのかという疑義があるだけだ。

 むしろ、このコピーをことあるごとに取り上げて来たアカデミズムの真意が分からないのである。このコピーの分析を通じて一体何が解明されるのか、それが分からないだけだ。

『モノより思い出。』小西利行、日産セレナ、1999のコピー。

 10年の時を挟んで、バブルは崩壊。日本も取り敢えずお金を使うという、麻薬中毒症状からは抜け出さざるを得なくなっている。蕩尽の快感とも訣別した後、何がこの資本主義下で快楽足りうるか。

Make more memories than buying things in vain. So first you have to buy this car for that.

 結局CMのコピーなのだから、何かを買わせようというのは変わらない。モノより思い出、と言って図書館に行こう、ということを主張しているわけではないのは当然だ。いくらバブル崩壊と言っても、車ぐらい買えるでしょ、という訳だ。また、買えないのならそういう層は相手にしてませんから…………とまでは言っているかどうか。

 思い出を作るのにも、現代では必要最低限のお金はいる。それを無しで済ますと、しばしば法に抵触するやもしれなくなる。思い出を作るには、最低限生きていなければならない。このコピーから20年ほど時を隔て、『盗んだのは、絆でした。』というコピーの映画が封を切られる。知る人は知っている『万引き家族』だ。国内外で評価も高かったようだ。もう、資本主義は瀕死なのだろうか。

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