たとえ些細な事で上司が明らかに間違った判断をしていても、部下が勝手に正しい判断に直して事を進めてはならない。「えっ?」と理解できないで逡巡していると上司は「じゃあ、お前が責任とれるっていうのかっ‼ あーっ?」。責任の取り方など考えてもみなかった入社したての頃、課長が誰だったかに会社のルールを教えていた。今回考えてみたいのは『責任の取りかた』だ。
『責任を取る』となんだか似ているのが『謝罪をする』なのだが、何が違うのだろうか。
『謝罪をする』場合、ことばで謝るが、具体的な補償は何も無しということがあり得る。
ただ口先だけで謝るのである。それでも日本は米国などと違い、謝られたらそれ以上責めたりはし難い雰囲気のときがある。
『責任を取る』のほうは逆に、具体的な行動でそれを示すが、ことばは何も語られない場合がある。遺書もなしに責任を取って自害するとかがその例だろう。凶悪犯の親がいつの間にか自死していたことなどを思い出す。
いずれも事が起こってから『それを何とか無かった事にしよう』という一見不可能な努力である。
『責任を取る』とはどのようにその不可能事を成し遂げようとすることなのだろうか。
①遂行責任…………当初の計画をどのようにして修正、完遂するのか
②説明責任…………現状及び事後策の妥当性を説明し納得してもらう
③賠償責任…………何らかの処遇を受ける
いずれもビジネスにおける責任の取りかたになるが、ここではある意味最も非生産的と思われる『賠償責任』にスポットを当ててみよう。良いか悪いかは別にして、これだけが他の責任と違い確実に果たすことのできるものだからである。通常受けられないような処遇は課せられない。
つまり不正を行った為会社の経営を傾けてしまった社長は、その後苦難を乗り切って業績を上げることが出来るとは必ずしも言えない。そして、皆がその社長の説明に必ずしも納得するとも思われない。
だが、引責辞任だけは確実に出来るのだ。社長の意志のみでそれを拒むのは論外であるが。
人を死に至らしめてしまった場合、『死んでしまったものは生き返らないのだから』と言ってみて、何かいい方法が見つかるのだろうか。
軍隊は上官の命令が絶対である。その上官が『白鳥は黒色である』と宣言すれば、部下は従わざるを得ない。何かあれば上官が責任を取るという。
その軍の上官-司令官が無能の為自軍の部隊を全滅させてしまったとする。遂行責任も説明責任も恐らく果たされないだろう。何万何十万の命を死へと追いやった責任は如何ともしがたい。ただ、司令官が処遇を受けることだけは出来る。それで、何も解決はしないかもしれない。勿論自害するべきだと言っているのでもない。一体どうしたらいいのだろうか。どうするべきだったのか。自軍を全滅させた司令官。
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