なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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気づかないフリって…………

 哲カフェの『気づくとは』は、主に気づく主体が、知的レベルを(気づく前後で)どのようにレベルアップさせてゆくか、の周辺ではなしが進んでいったように思う。気づき、認知、悟り、知る、わかる、直観、統合、偏見、ひらめき等をキーワードとして、どのように僕たちは知的遊戯を行うか。とういことを中心にいろいろ興味深い話が続いた。

 しかしここでは、コミュニケーションとしての〈気づく〉〈気づかない〉〈気づかないフリ〉について考えていこう。上述のうち、もっとも興味を惹かれるのが〈気づかないフリ〉になる。〈気づいている〉のにも拘らず、あたかも〈気づかないんだよー〉という〈フリ〉をすること。その目的は、意図はどこにあるのか。そして、その結果、この信号の〈送り手〉と〈受け手〉の関係は、どのように変化してゆくのか、を考察することになる。

 だが、大体にして気づいていない人が「私は〇〇のことを気づいていませんよ」と言うことは、とても不自然だ。時計をちらっと見て「いま11:18だということに私は気付いていません」と発話することが、どれだけ不自然か。だから、僕たちはこの部分を発話ではなく〈フリ〉で表現することになる。それでも発話の代わりに〈フリ〉にしたところで、その構図は不自然であることに変わりはない。

 ではなぜ僕たちは、それ(気づいていないかのような振る舞い)を発話ではなく〈フリ〉で表現をするのだろう。やさしさ?ためらい?面倒だから?そしてこれらは、自分の為?相手の為?

 ここで最初の構想を諦め(そ、そんなあー)、個別の〈気づき〉周辺で、何が起こっているのかを列挙していくことにしよう。

はぐれそうな天使 (岡村孝子)1994

見つめているだけでふいに/熱くこみあげる/あのひとにも気づかれてる/かくせない心

 何故見つめていることが出来るのか、不自然でないのか。恐らく歌の主人公〈私〉と〈あのひと〉は同じ会社で、同じプロジェクトチームとかにいる。そこのリーダーとして〈あのひと〉が皆に説明をしている。それをいっけん、熱心に見て聴き入っている〈私〉。しかし心は説明のことなどにはない。

 そのことに〈あのひと〉は気づいている。それでも、今までと変わることのない態度を崩すことのない〈あのひと〉。〈私〉がはっきりと自分の気持ちを伝えなければ、事態はなにも変わっていかない。また、このままでは、変える義務も〈あのひと〉には生じない。もしかしたら〈あのひと〉の薬指にはリングが。だから《はぐれそうな天使》なのだろうか。

Silvy  (原田知世)1996

ドアを閉じるまで/その涙 隠しつづけた/彼は気付いても/見ない振りするのでしょう/映画はとても意地悪に/物語終わらせてゆく

 Silvyが自分でドアを閉じてさようならをする。そのとき、殊勝にも涙を必死に堪えている。そのことに〈彼〉は気づいている。

 一般に、ひとは何かに気づけば、その後に当然するべき行動を取るように期待される。それを敢えてしないのが〈気づかないフリ〉としてメッセージされてしまう。

 例えば、前を歩く人が財布を落としたら、後ろの人は当然拾って声をかけることが期待される。それを敢えてしないと、〈気づかないフリ〉をしてんじゃねえよー、ということになる。

 では涙に気づいた〈彼〉はどうすることが期待されるのか。今度は〈彼〉がドアを開けてSilvyを黙って抱きしめる、ことが期待される。それをしていないから〈フリ〉なのである。(正確には「気づかないフリ」と「見ない振り」は違うが)

 しかし、やっとSilvyと〈彼〉が別れてゆく合意を形成したのに、〈彼〉の自分勝手なやさしさで、ドアを開けてしまえば、また振り出しに戻ってやり直さなければならない。或いは本当の振り出しに戻ることは可能なのか。

ともだちwith 小袋成彬  (宇多田ヒカル)2016

気付かないフリとか/中途半端な優しさに泣きたい/Oh友達にはなれないな にはなれないなoh/Oh 何故ならば触りたくて仕方ないからoh

 同性のひとに恋した苦しい想いを綴った歌。この〈フリ〉は自分に想いを寄せてくれたひとへのお礼と、そんなひとを傷つけたくない思い。それが、歌の主人公には諦めをつけなくさせている、苦しいままでいる。かといって、間が縮まることも絶望的で、結局この〈フリ〉はそうする側の為のもの。と言い切れるかはさておき、実質態度がすべてを語ってしまっても、ことばで〈好きだ〉と言わない限り、恋された側は何も返す必要はない。よく大事なことはことば以外で伝える、とは哲カフェで話される謂いだ。しかし、こういうケースでも、ことばで言い表さないのと言うのとでは、決定的に違うことだ。何が違うか。恋された側に何の義務も生じないかどうか、ということ。

 抽象化、理論化は後日(覚えていたら。たぶん忘れる。忘れたフリ)。

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