なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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ピース・メイキング・サークルを終えて

7月のおなごテツでは、ピース・メイキング・サークルという手法を用いてみました。
おなごテツブログの方にも書きましたが、ネイティブ・アメリカンの風習から生まれた対話方法で、焚火を囲んで輪になって座り、順番に語っていく、というものです。
今回、以下のルールを適用し、その場で提示した2つのテーマについて順番に話しました(それぞれのテーマについてはおなごテツブログの発言録をご参照ください)。

<ルール>
・順番に話す(表示名の50音順。1回目はあ→わ、2回目はわ→あ、でそれぞれ2巡)。
・前の人の話を受けても、受けなくても良い。
・話すことが思いつかなかった場合は「パス」と言う。何回でもパスできる。
<テーマ>
1回目:寝たふりをしている人を起こすことはできない(ネイティブ・アメリカンの格言より)
2回目:死はない、世界が変わるだけだ(同上)

この方法を採用した理由は、即興と、順番に回すという二つの仕掛けにより、いつもと違う発想が生まれるのか、その相互作用によってどのような対話が生まれるのかを試してみたかったからです。

結果として、各々のイメージやエピソード・トークからスタートして、色々視点を変え、様々な思考が展開されました(人の話を受けても受けなくてもいい、パスしてもいい、という前提だったのですが、誰もパスせず、人の話を受けて話していました)。
後半の振り返りパートでも、今回の感想から始まり、こうしたらどう?というアイディア、更には普段の哲学対話との比較、問題提起など、話は尽きず……。新しい手法を試すと、その方法そのものを検証できるだけでなく、従来の方法について改めて考えるというメリットもあることを実感しました。

最後には「そもそも哲学対話って何?」という話になったのですが、そこで気になったのが感覚・感情と論理という問題です。前者(感覚・感情)をベースにした切り口を示すと、論理的ではないと評されることにモヤモヤするという指摘がありましたが、この二つは対極にあるものではなく、相互に刺激しあい、深まり、転がっていくものだと思います。
読書会のようにテキストと向き合う場では、抽象用語によってしか語れない概念があり、概念によってしか深まらない理解もあると思いますが、通常の対話では、感覚、実体験、イメージ、思考、論理、抽象概念……etc.、様々なフィールドを渡り歩き、それらの相互作用の中で、新たな視点と出会うだけでなく、新たな思考方法を見出すこともあるのではないでしょうか。

話が戻りますが、そういう相互作用を促進するには、即興や順番制という仕掛けはそれなりに効果があるのかもしれません。また、今回後半の振り返りパートでは予約挙手制を止めて、発言者が話し終わってから手を挙げるという方法を採択しました。予約制にすると、自分が話すことに気を取られて、そこまでの人の話を聞かない可能性があるからです。対話の場というのは、自説を主張し、人を説得したり論破する場ではありません。まず人の話を聞いて、それによる自分の変化を受け止めてから発言できればと思います。

いっそのこと、次にピース・メイキング・サークルをやる時は、「必ず人の話を受けて、更に展開して次の人に回す」というルールにしてみたらどうでしょう。雑談タイムなら実現するのでしょうか。
その他、こんな方法はどうだろうというアイディア、お待ちしています。

(福)