なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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『占いとは』に参加できなくて

 タイトル通りの哲カフェ『占いとは』には参加できなかった。それは『1/21(土)にはPCの電源をONにすると、大凶』という占いを見たから……………では勿論ない。
 その日は、対面の哲カフェ(りんテツ)@名古屋駅に参戦していたからだ。
 だけど、もしその日もzoomに加わるという選択をしていたら、今の自分とは何かが違っていただろう。当たり前のことだけど、そこには選ばれなかった過去があり、そこから派生する未来も選択できなかった事になる。
 あの時別の事を選んでいたら今頃自分はどうなのだろう、という過去へのまなざしが分岐思考を生み、延長線上に占いが生まれたのではないかと思ったりもする。
 ところで予測と占いの境界線はどの様に引かれるのだろうか。それは天文学占星術、化学と錬金術を分かつようにではないだろうか。その科学と呪術の境界は思っているよりも曖昧なのかも知れない。
 何か天の隠されたメカニズムの存在を解き明かそうと理知を用いるのが科学。不思議に対しては不思議を用いて解き明かそうという情緒が呪術の発想なのだ。理知と情緒をはっきりと分けることのできる人間のはたらきだと言えるだろうか。
 世の中の不思議には、どんな力が作用しているのだろうか。科学では窺い知れない不思議がミクロの世界には存在する。
 量子力学によると、ある状態が別の状態になるかどうかは確率でしか分からないという。
 それでも彼は変化せずに、我だけが変化したという事実を前に、科学はそれを単なる数学上の確率によるものでそれ以上の探求は不可能だという。
 しかし、そこに何らかのメカニズムを認め、最後まで因果関係を見るのが占いである。科学の原理的予測不可能領域において、生命の神秘がミクロの神秘と符合する。生命の神秘とは生命体が惹き起こす〈占い〉の事であり、ミクロの神秘とは量子力学の確率の事である。
 言い換えると最後までものごとの因果関係を認めるのが、〈占い〉ということになる。科学にはその因果関係がまったく意味不明に見えてしまう。ただ確率の虚無が横たわることこそ、世界の真実であると。
 今日、ヘーゼルナッツコーヒーを飲みながらTVで巨人vs阪神をわたしが観戦すると、
9回裏に阪神が逆転、サヨナラ勝ちすることは運命づけられている。そう主張するのが〈占い〉なのだ。
 勿論そんな因果関係を認めないのが〈科学〉である。
 人間が産み出した〈科学〉と〈占い(呪術)〉、一体どちらが真実か。答えが出ない中、今日もTVでは『てんびん座生まれのあなたの運勢は星3つ。ラッキーカラーは白。カツサンドがラッキーフード!』などなど、カオスだ。

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